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"Gloria" Diary/グローリア日記 2001(1)

2001年12月に宇都宮で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」 という演奏会が催されました。 合唱を含む曲目はJ.ハイドン(Joseph Haydn)と M.ハイドン(Michael Haydn)の 宗教曲2本立て! 久しぶりの古典派路線です。 私はこれらの曲にチェンバロにて参加致しました。以下、その経緯をご覧ください・・・

ご注意:
1.今回の「グローリア日記」は、日付の古い記事が上に、 日付の新しい記事が下になるように並んでいます。 お読みになる際にはご注意ください。
2.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。


2000年10月1日 正式な合唱曲目を把握

この日は 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.8」 の練習日。 グローリアの合唱指揮者であり、 インターネットでもたびたびお世話になり、 私のサイトの掲示板にもたびたび書込を頂戴しているうっちいさんの ご実家にお邪魔して、 電子楽器を運び出そうとしていた。 そのとき色々な四方山話があがり、

「そういえば、 来年のグローリアの曲目って、 もう決まって居るんでしたっけ? 確かハイドンとか・・・」
うっちいさん曰く、 「ああ、もう決まってますよ。 ミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』と、 ヨゼフ・ハイドンの『オルガンつきミサ・ブレヴィス』です。 又来年もよろしくお願いしますよ」
「あ、どうも、ありがとうございます。こちらこそお世話になります」 というわけで、 来年実施する曲目を初めて正確に把握した・・・ かといって、 どのようにその楽譜を入手するかが問題・・・。


2000年10月12日 楽譜の注文

・・・と思っていたのだが、 今は便利になったものだ。 インターネットで楽譜の注文というのが行えるらしい。 早速インターネットで ベーレンライタ社 のサイトを アクセスし、 J.ハイドンの『ミサ・ブレヴィス』を注文した。 続いて、 Carus社のページをアクセス、M.ハイドンの『レクイエム』を注文。 両方ともクレジットカード決済であり、 手続きは非常に簡単。 ただ一箇所、 自宅の住所を間違って記載してしまったので、 慌ててベーレンライタ本社に電話をかけて、 自宅の住所の訂正をしてもらった。 これが英語でのやりとりでなかなか大変でした(^^;)

2000年11月7日 楽譜の到着

ベーレンライタ社、 Carus社それぞれからほぼ同時にスコアとパート譜が送付された。 注文してから3週間。 予想以上に早い。

料金は税込みでそれぞれの楽譜がおよそ30ドイツマルク。 1ドイツマルクはおよそ50円であるから、 結局1500円の支払いということだ。 日本国内経由で同じ楽譜を求めようとすると これの3~4倍は確実にかかるだろう。 驚くべき数字である。

さて、楽譜はゲットした・・・。 とりあえず目先の「グローリアアンサンブルVol.8」 (レクイエムなど) に専心しよう・・・。


2001年1月23日 転地療法へ

2か月ぶりの日記更新である。どうして2か月間も空白があいたかというと、 この間に、私の身の回りに重大な変化があったからだ。 現在の私は鬱病に侵されている。 このことはすでに音楽ひとりごとに記したのだが、それ以降病状は好転せず、むしろ一進一退の道をたどりつつ徐々に深刻な物となってきた。 そして「グローリア Vol.8」の本番と相前後して会社を病気欠勤するほどに、 事態は悪化していたのである。

年が明けて2001年1月11日、通院している医師からの薦めもあり、 私は自宅(栃木県)を一旦離れ、愛知県の実家で転地療養する道を選んだのだ。 しかしこれは決して「グローリア」出演を断念したことを意味する物ではない。 私の手許にはすでに次回のグローリアの演目のスコア、 パート譜、 音源(MD)が揃っており、 しかも実家にはピアノがある。 1人で予備練習するに不足な環境ではない。

私は、合唱側の技術的総元締であるうっちい氏と、管弦楽側の総元締めであるY.K.氏に、

「自分はこれから鬱病治療のために『転地療法』に入り、実家に移動します。しかし、『グローリア』には必ず出演する意志を持っています。どうか鍵盤奏者としての私の席をご用意くださいますよう、お願いいたします。」

を説明したメールとFAXを送り、1月20日に実家に移動した。もちろん、実家への旅行鞄の中には、次回の演目であるJ.HaydnのミサとM.Haydnのレクイエムそれぞれの楽譜、MDを忍ばせた。更に、比較検討するための資料として、以下の楽譜とMDを鞄に詰め込んだのである。この中には過去に「グローリア」で採り上げられた曲もあれば、そうでない物もある。また私が「グローリア」以外の場で経験した曲も含まれている。

ほとんどの演目が「ミサ曲」と「レクイエム」である中に、 A.Corelli(コレルリ)の合奏協奏曲集が入っているのを不思議がる人もいるかも知れない。 しかし今回の演目は、J.HaydnもM.Haydnの両曲とも少なくとも楽譜上はヴィオラパートを欠いており、 弦楽部分は、一見、「トリオ・ソナタ」を思わせる編成になっている。 特に、J.Haydnのミサ曲はどうも何となく意識的に古い様式を用いて書いたことをうかがわせるのだ。 バロックの「トリオソナタ様式」を確立したCorelli(コレルリ)と、 音楽内容を比べてみるのもあながち無駄ではあるまい、 と思ったのである。

これからしばらくの間、この「グローリア日記」の内容は、 主に我が鬱病の推移の記録と、 上に述べた色々な種類の音楽との比較検討を含めた 「我流解析」が中心になるだろう。この「我流解析」、どこまで当たっているか自分でも分からない。しかも自分は鬱病持ちで、正常な判断を失っている部分があるかも知れない。このエッセイの読者の皆さんの忌憚無きご意見を賜りたいと、切に願う。


2001年1月27日 睡眠学習(?)開始

上で述べた楽曲の比較検討だが、その後、結局全然進んでいない。 やはり、 鬱病にまでなってしまった頭にはこうした作業は煩わしく思われるのだろうか。 その代わりといっては何だが、 現在は寝る前にBGMとして必ずM.Haydnのレクイエムを聴くことにしている。 いわゆる「睡眠学習」的効果で、 楽曲を覚え込もうというわけだが、 果たしてどこまでうまく行くやら・・・。


2001年1月31日 「お勉強開始」は話題(?)の「Quam olim Abrahae promisisti,...」

先日火曜日(1月30日)、私は病院の精神科へ診察を受けに出かけた。 診察の後、薬を受け取り、病院を後にした。その後直ちに我が自宅(実家)には戻らなかった。 この日、私は名古屋の中心街で買い物でも楽しもうかというつもりだった。

ところが、名古屋市中心部のある音楽専門店で、音楽書を購入する直前、 急に不安感というか焦燥感の如き感覚に襲われたのだ。 私は目的の音楽書を買った後、足早に店を後にして自宅(実家)に戻った。

自宅(実家)に到着した後、 私はようやく焦燥感から解放され、 落ち着きを取り戻したのである。

どうも「鬱病」はまだ私の中に潜んでおり、 ときどき出てきては私の平穏な生活の邪魔をするようなのだ。 完治までの道のりの遠さに一種の落胆的な感覚を抱いてしまう。

さて、話を「グローリア」の音楽のほうに移そう。現在の私は、 レクイエムの「睡眠学習」中なのだが、 ここにきて色々と面白い点に気付きだしたのだ。 それに、 「睡眠学習」なんて言っているが、 よく考えてみると
「レクイエム(鎮魂曲・死者のためのミサ曲)を『横たわって眠りに入る』ときのBGMに使う」
という行為はそれほど縁起の良い行為ではないような気がしてきた(笑)
、 というわけで、 気が付いた点などを思いつくままに書き始めようと思う。

まずはOffertorium(奉献誦)の中の 「Quam olim Abrahae promisisti,...(あなたがかつてアブラハム・・・に約束したように)」から始める。 この部分は「モーツァルトのレクイエム(正確に言うと『モーツァルトが書き始めてジュスマイアーが完成させたレクイエム』なのだが、 面倒くさいから(^^;)こう呼ぶ)」の同じ歌詞の部分と そっくりなのだ。(このことは、選曲の段階から話題になっていたようだ。)

まずは両者の「Quam olim Abrahae promisisti,...」を並べて、 比較してみよう。(次の楽譜。上がM.ハイドンで、下がモーツァルトの物である)

[M.HaydnとMozartのレクイエムでの'Quam olim Abrahae,...'の比較 (Quamolim_Ab.gif, 16.3KB)]

(無言の沈黙・・・(笑))ううむ、 似過ぎている。 何だか今さら改めて類似点を書き連ねるのも 阿呆らしいような気さえするのだが、 とりあえず類似点を列挙してみよう、 といいつつ、両者の類似点は列挙するに暇(いとま)が無い程なのだ。 まずは、調性。 両方ともg-moll(ト短調)である。 あとは、 両者で黄色く表示した部分をご覧いただきたい。 フーガ的な展開、 そしてその「フーガ主題」の著しい類似、 バス→テノール→アルト(→ソプラノ)という順番で主題を導入する行い方、 そして、各声部の「入り」のタイミング、皆双方で共通している。 「モーツァルトはM.ハイドンのこの曲を知っていて『参考にした』 (悪く言えば『盗作した』)のだ」 と言ってしまっても良いようにすら思われる。

しかし両者の間には少なくとも1つ重要な相違がある。 「伴奏」だ。 (上の楽譜で黄色く表示していない部分-"Violin I,II"(第1,第2ヴァイオリン) および"Bassi(Continuo)"(通奏低音)と書かれたパートを見てもらいたい) モーツァルトのレクイエムでは、 弦楽器および通奏低音(Basso Continuo, 通常はチェロとコントラバスとオルガン) が 独自の激しいリズムを反復し、 曲の厳しい雰囲気を高めるのに一役買っている。 モーツァルトのこの曲を演奏する場合、 合唱側と弦楽器・通奏低音側では異なったアプローチ、 接し方が求められるだろう。 しかし、 M.ハイドンの場合、 伴奏楽器は(通奏低音を含めて)歌をなぞっているだけである。 この場合、 モーツァルトとは逆に歌と楽器とが 「一体化する」 ことが求められるかも知れない。

いずれにせよ、 この、 両者で一見よく似た曲「Quam olim Abrahae promisisti,...」 の器楽パートの著しい相違は、 一応注意しておく必要があるだろう。


2001年2月1日 曲の開始部分(序奏部分)に目を向けて・・・

「Quam olim Abrahae promisisti, ...」を見終わったところで、 今度は曲の開始部分(歌の入る前の序奏部分)を見てみよう。

[曲の冒頭4小節の総譜(フルスコア) (Begin1_Requiem.gif, 8.60KB)]

ここに冒頭4小節を総譜 (フル・スコア) で示した。 ご覧の通りかなりデカい。 「スクロールしないと全体が見れない」 という人もいるかもしれない。 しかしこの総譜で曲全体の楽器編成が分かる。 使用楽器は「クラリーノ」2本、 (聞き慣れない名前の楽器だ。この場合、クラリネットとは関係なく、 古いタイプのトランペットの一種である。) トランペット2本、 (従って、 クラリーノと併せて4本のトランペットを使用するのだ。) c音とG音に調律されたティンパニ1セット、 第1・第2ヴァイオリン、 (少なくとも楽譜上ヴィオラは存在しない。 ここはちょっと変わった点だ。) 2本もしくは3本のトロンボーン、 (これは主に合唱声部をなぞって補強するために用いられる。 「コラ・パルテ(colla parte)」と呼ばれる手法である。) そして「低音楽器」-チェロファゴットコントラバス、 およびオルガン等の鍵盤楽器・・・ これは典型的な「通奏低音(Basso Continuo)」の楽器群である-・・・以上だ。 これに混声4部合唱(ソプラノ・アルト・テノール・バス) およびそれぞれの歌声パートの独唱者が加わる。

以上が、M.ハイドンの「レクイエム」の編成である。

これからその冒頭部分を調べるわけだが 冒頭序奏部分の解析に必要なパートは、 上の総譜上で黄色く示した3つのパート、 すなわち、 2つのヴァイオリンパートと低音(通奏低音)パートである。 これだけを取り出して見てみよう。

[冒頭4小節(第1・第2ヴァイオリンと通奏低音のパート) (Begin1_Requiem.gif, 2.78KB)]

第2ヴァイオリンから入った旋律が、 第1ヴァイオリンにより5度上で模倣される。 おおっ!何だかフーガみたいだぞ。 おまけに、 少なくとも楽譜上はヴィオラの指定が無い。 更には8分音符で刻まれる通奏低音。 まるで「トリオソナタ」みたいだ。 ひょっとしてこの先、 トリオソナタとか合奏協奏曲のように、 「バロック音楽的対位法の世界」 が展開されるのだろうか・・・とちょっぴり「期待」する。 「バロック音楽的対位法の世界」とか、 「トリオソナタ」とか言うれども、 例えばこんな感じだ。

[トリオソナタ様式の例 (A.コレルリの合奏協奏曲) (Trio_S1j.gif, 7.98KB)]

あるいは

[トリオソナタ様式の例 (J.S.バッハ「平均律クラヴィーア」第24番プレリュード) (Trio_S2j.gif, 8.73KB)]

などなどである。

しかしながら私の期待(?)は、間もなく簡単に裏切られる(笑)。 第5小節目付近から我々は「メロディー VS. 伴奏」という、 「和声音楽の世界」に突入していくのだ。

['Introitus'の4小節目から9小節目 (Begin2_Requiem.gif, 10.2KB)]

上の楽譜で、第1ヴァイオリンは旋律楽器としての役目を担い、 第2ヴァイオリンは分散和音で低音楽器と協力しつつ、 「伴奏和音」を作り出している。 ヴィオラが欠けている以外は、 ここには典型的なウィーン古典派の音楽の特徴が出ている。 いずれにせよ、 これは決してバロック音楽などではなくて、 紛れもない古典派の音楽だということなのだ・・・ って、 何を今さら・・・(^^;))

話は変わって、 私はこの曲のテンポの指定に注目しておきたい。 本曲(M.Haydnのレクイエム)の開始部分は「Adagio」と指定されている。 一方、 先ほど披露したコレルリの音楽では、 「Andante Largo」というテンポ指定であった。 更に、 先ほどのバッハの平均律第1巻24番の前奏曲には 「Andante」のテンポ指定があった。

(後の時代の人が勝手気ままにテンポ指定を付けたと 思われるかも知れないが、 私が参照している楽譜はいずれも権威のある原典版である。 コレルリについてはオイレンブルグ(Eulenburg)版を参照し、 バッハについてはウィーン原典版 およびベーレンライタ(Baerenreiter)原典版を参照し、 モーツァルトについては、 音楽之友社の楽譜(ベーレンライタ版に基づいて校正されたもの)を参照している。 M.ハイドンについては、これについてほぼ唯一の出版社とも言える Carus版を使用している。 よって、 後世の人の勝手なテンポ指定は 極力排除されているはずである。 なお、 本ページの文中の楽譜は 上記原典版を参考にしつつ、 私がノーテーションソフトで作製した物だ...と、 ここで話を元に戻して...)

コレルリの「Andante Largo」、 バッハの「Andante」に対して M.ハイドンの「Adagio」、コレルリやバッハとは異なるテンポ指定である。 しかし私にはこれら3者のテンポにそれほどの違いを感じないのだ。 このことは、 「テンポ指定や発想記号は、時代によってその意味内容が異なっていく物である。 (例えばバロック音楽での"Allegro"とロマン派の音楽での"Allegro"では 速さもニュアンスも違う)」 ということを示す一つの例かも知れない。


2001年2月2日 合唱の開始部分の譜面を読んでみる

さて、昨日で一応 「序奏部分」は見終わったことにして (←まだ色々見落としがあるに違いないのだが(^_^;)) いよいよ合唱の開始部分-"Introitus"の11小節目以降- に 目を向けていこうと思う。 次に示す楽譜がそれである。

[M.ハイドンののレクイエム,MH154の合唱開始部分。'Introitus'の11小節目。(Chor_Start_Requiem.gif, 5.03KB)]

器楽による序奏部分(1-2小節)をより発展させたような形をしている。 各声部に導入される旋律は、器楽序奏部分の冒頭と同じである。 これはまずバスに導入され、テノール、アルト、ソプラノの順に模倣されていく。 この模倣のされ方は、 主音開始(バス)-属音開始(テノール)-主音開始(アルト)-属音開始(ソプラノ) となっていて、ちょうど、フーガでの主題投入作法に一致している。 また、模倣は1小節間隔で行われている。

さて、何かにつけて比較すると面白い「モツレク」-(モーツァルトのレクイエム)- の場合を見てみよう。 「モツレク」での合唱投入は"Introitus"の8小節目以降に行われている。 ここの楽譜は、以下の通りである。

[モーツァルトのレクイエム,KV626の合唱開始部分。'Introitus'の8小節目。 (Mozart_Chor_Start.gif, 9.49KB)]

まず気がつくのは、主音開始(バス)-属音開始(テノール)-主音開始(アルト)-属音開始(ソプラノ)の順に、 フーガ的な作法で 同一の旋律が導入されていく点である。これはM.ハイドンのレクイエムと同じ作法だ。

(ただし、 こうした作法はすでにルネサンス音楽・パレストリーナのころの宗教曲から 常套手段とされてきた。 実際、 数え切れないほどの作曲家がこの作法を用いた宗教合唱曲をのこしている。 従って、 ここで改めてその類似性を声高く叫ぶ必要はないかも知れない。 ただし、 声部導入の順序、 フーガ作法の利用の仕方が M.ハイドンとモーツァルトの両レクイエムで共通していることは 確かに注意しておく必要があるだろう。)

ところで、M.ハイドンのレクイエムの場合、 合唱の各声部の投入は1小節間隔で行われているのに対して、 「モツレク」の場合、合唱の各声部の投入は半小節間隔で行われている。 この分、 モーツァルトの方が曲の盛り上がるスピードが速いと言えるかも知れない。

だが、 そんなことよりも私が注目したいのはここの部分のヴァイオリンパートの動きである。 次の楽譜を見ていただきたい。

['Introitus'の合唱導入部分でのヴァイオリンのリズムの類似性 (Vn_in_Chorstart.gif, 14.7KB)]

上から、 M.ハイドン、 モーツァルトそれぞれのレクイエムの合唱登場部分の楽譜を示した。 黄色で塗った部分がヴァイオリンパートである。 (第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンはここではユニゾンで動いている)

ちょっと見ると分かりにくいかも知れないが、 細かいシンコペーションの連続から成るリズムは、 両者で本質的に同じなのである。 (上の楽譜の一番下の段を参照) ひょっとすると、 この細かいシンコペーション、 合唱の登場を印象づけるのに一役からんでいるのかも知れない。 両者の「レクイエム」のヴァイオリンパートの、双方で酷似したリズムを見ると、 そんな気がしてくるのである。


2001年2月15日 荷物の中に一冊の「総譜」が・・・

この日に起こった大きな出来事は、「グローリアアンサンブル&クワイアーVol.8」の 「反省資料」(?) そして「グローリアアンサンブル&クワイアーVol.9」の練習日程表を含んだ大きな荷物が 我が元に届いたということだ。 荷物が届いたこと自体は「グローリア日記2000」の2月15日の部分に記載したから、 ここでは改めて詳しくは繰り返さない。

ただ一言付け加えるなら、荷物の中には、1冊の「総譜」が混じっていたということだ。

これまでの「グローリアアンサンブル&クワイアー」では、 毎回、「歌を含まない『器楽ステージ』」を設けるのが通例であった。 「グローリアアンサンブル&クワイアーVol.9」でも当然その予定である。 「総譜」はその「器楽ステージ」のものだったのだ。 何という曲かは、とりあえず伏せておこう(^^)。 なお、 私の担当パートは無論「通奏低音」である。

私は早速、総譜を手配してくださったY.K.さんに 電話でお礼を申し上げるとともに、 「チェロ+コントラバスのパート譜」を所望した。 チェロ+コントラバスのパート譜が届いたら、総譜を参考に、 和音記号としての「音程数字」を書き込み、 「通奏低音」のパート譜に仕立てる算段なのである。

パート譜は恐らく2月末もしくは3月頭には 我が手元に届くということだ。 いよいよ本格始動へ向けての忙しさが増して来る。


2001年2月22日 新たな「荷物」到着

Y.K.さんに所望していた「チェロ+コントラバスのパート譜」が、 この日、我が手許に配達されてきた。 ついでに言うなら、同時に所望していた「音盤」も到着。 これで、本番のステージに 向けて必要な楽譜・資料が全部揃えられたことになる。 あとは「研究」と「練習」有るのみ。 私が実家から戻って、 チェンバロを実際に触るまでの作業は主として前者-「研究」-だ。

まず、 何でもいいから、 感覚的立場でも論理的立場でもいいから、 とにかく曲を「好き」になること。 どんな形でも良いから、自分の演奏する曲を 「愛する」 ことができるようになること。 この領域を第一目標に据える。そうしなければ本番は成功しないだろう。

それにしても、私のために色々と便宜を図ってくださるY.K.さんには 何とお礼を申し上げたらいいのか分からない。 残念なのはY.K.さんがインターネット環境を持って居られないことだ。 「お礼」のかわりこの文章を印刷して郵送して差し上げる・・・それだけじゃ失礼かな、 と考えたりする。


2001年2月27日 「To decet...」の部分を解析!

何だか 「大解剖!M.ハイドンのレクイエム」 とタイトルを変えた方が良いと言われるかも知れないが、 気にせずに続きを見ていこう。(^^)。 次の部分は以下のような歌詞である。

(i)Te decet hymnus,
Deus in Sion, 
(ii)et tibi reddetur votum
in Jerusalem,
(iii)exaudi orationem meam,
ad te  omnis caro veniet. 
(i)神よ、シオンにて捧げられる
賛歌はあなたにふさわしい
(ii)そして、エルサレムにて
人は主に誓いを果たすであろう。
(iii)私の祈りを聞きいれ給え、
主に全ての人々が来るだろう。

右側に日本語の意訳を付けた。 これとてあちこちの資料をひっかき集めたモノだ。 それでもよく分からぬ(^^;)。 ただし、 前半(i)~(ii)と後半(iii)では歌詞の雰囲気が異なるようだ。 (i),(ii)は神・主への個人個人の信仰を歌い、 (iii)では主の許に「全ての人々」が殺到(?)する事を歌っている、 と思われる。

モーツァルトの「レクイエム」の楽譜のこの部分では、 「曲」がこの歌詞と見事に対応すべく作られている。素人目にも楽譜上で はっきりと読みとれるのだ。それを見てみよう。

[モーツァルトのレクイエムに於ける'Te decet hymnus ...'以降の部分 (WAM_Tedecet.gif, 21.0KB)]

ご覧の通り、(i),(ii)に対する部分はソプラノの独唱、 これを弦楽器を主にした音階的な柔らかい音型が包んでいる。 楽譜上には明白に指定はされていないが、 全体の雰囲気は"p(ピアノ)"かつ"dolce(ドルチェ、軟らかく)"といったところだろう。

しかし、 (iii)に突入する部分(楽譜では赤線と矢印で区切りを示している)で雰囲気は一変する。 歌は独唱ではなく合唱("Tutti"という指示が「omnis caro/全ての人々」を直接意味している)になり、 弦楽器の音型は鋭い付点付き分散和音になり、 トロンボーンが3本、 "colla parte"(コラ・パルテ:合唱声部をなぞって補強する楽器)として導入され、 全てのパートに"f(フォルテ)"が指定される。 「全ての人々が来る」という歌詞を示唆するのだ。

それでは我らがM.ハイドンのほうはどうだろうか。 同一歌詞の部分を引用してみよう。

[M.ハイドンのレクイエムに於ける'te deceet hymnus ...'以降の部分 (MH_Tedecet.gif, 12.3KB)]

31小節が(i)~(ii)と(iii)との境目である。(i),(ii)の部分をM.ハイドンはソプラノ+アルト女声合唱のユニゾン(異色な手法だ!)で処理している。ただしソロではない。伴奏はヴァイオリン(これまた第1,第2ヴァイオリンのユニゾン)の16分音符の3連符のみである。

これが31小節目以降になると、 まず、 合唱は本来の混声4部合唱に分散し、 ヴァイオリンの伴奏音型は「32分音符」と一段細かくなり、 さらにティンパニとクラリーノ、 トランペットが加わる。 (i)~(ii)と(iii)との対照はモーツァルトほど「鮮やか」ではないが、 対照的要素そのものは確かに存在している。 合唱部分の単一ユニゾンから混声4部への分散、 楽器の増強、 これらはやはり歌詞「omnis/全ての」を示唆している。

さらに34小節付近からは、 当時の音楽としては驚くべき金管楽器の使用法が見られ、 かつ、 それが歌詞に対応しているのが見られる。 現代のヴァルブ装置付きのトランペットならともかく、 クラリーノ(古い時代のトランペットの一種)というのは、 M.ハイドンのような「古典派音楽」の場合、 狭い範囲の自然倍音しか出せなかったはずだ (以下の楽譜参照)。

[無弁トランペットの発する音(Natural_trp.gif, 6.55KB)]

従って、 「古典派音楽」では、 トランペットが旋律を担当する機会は少ない。 J.ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲等を見れば一目瞭然だ。 (この問題が解決し、トランペットが積極的に旋律を担当するには、 19世紀半ば以降の『ヴァルブ装置の発明・普及』を待たなければならない。)

ところが、 「omnis caro(全ての人々)」の歌詞の部分では、 この狭い範囲の自然倍音をフルに活用して、 クラリーノがソプラノ合唱とユニゾンで旋律を演奏していくのだ。 「omnis caro(全ての人々)」はクラリーノ奏者も含む、 というわけである。(以下の楽譜参照)

[M.ハイドンのレクイエムに於ける'ad te omnis caro...'以降の部分 (MH_adteomnis.gif, 5.68KB)]

やはりM.ハイドンのレクイエムにも、 それなりに「歌詞の内容を音符や楽器で表現する」 という意図が読みとれる。 この、 「歌詞の内容を音符や楽器に反映させる」という技術は、例えば、J.S.バッハの「ロ短調ミサ」で実に数多く用いられているのだが、 ここの部分はそれに通じるモノを感じる。恐らく当時の音楽家の多くはこうした技術・知識を持っていたのだろう。 そして、 この手法が「モーツァルトのレクイエム」にも受け継がれているのかも知れない。これらは現在のクラシック界の多くの場所で失われてしまった大切な物の1つのような気がする。かくいう私も他の人のことを言える立場ではないのだが・・・。

それにしても、何だかこのあたりのヴァイオリン(第1,第2とも)、楽譜には示さなかったが、ひたすら休み無く32分音符で動き回っている。これは難しそうだ・・・(^^;)ヴァイオリンの人、がんばってね~(と他人事のように言う☆\(--;))

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