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"Gloria" Diary/グローリア日記 2001(2)

2001年12月に宇都宮で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」 という演奏会が催されました。 合唱を含む曲目はJ.ハイドン(Joseph Haydn)と M.ハイドン(Michael Haydn)の 宗教曲2本立て! 久しぶりの古典派路線です。 私はこれらの曲にチェンバロにて参加致しました。以下、その経緯をご覧ください・・・

ご注意:
1.今回の「グローリア日記」は、日付の古い記事が上に、 日付の新しい記事が下になるように並んでいます。 お読みになる際にはご注意ください。
2.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。

2001年3月5日 解析、端折り(はしょり)ますっ!(笑)

掲示板の2001年3月3日の部分をご覧いただきたい。合唱指揮者うっちいさんの解析は既に全曲に及んでいる事を感じる。 これは参ったぞ。 それに、 冷静に考えると、 今のペースでまともに解析を続けたら来年の正月になってしまうではないか!

この後"Requiem aeternam"の部分も非常に重要な部分なのだが(何とラストの"Communio"で同じ音楽が再現するんですっ!)、 う~、 どーしよう、 ・・・というわけで、この後ソロが歌う"Requiem aeternam"と、 更にその次のキリエ(Kyrie)の解析は、ちょっと端折ります。すいません!m(_ _)m

ただ、 キリエは合唱の出だしの部分と同じ音楽を用いていることだけは最低限認識しておく必要があります。その他気になる点は私宛にメールくださいっ!以上っ!(笑)

・・・というわけで次の"Sequentia"へ・・・げげ、この曲、ページをめくってもめくってもまだまだ続く。 俺のCarus版のスコアだと30ページも有るぞ。 通奏低音鍵盤のパート譜でも6ページだ。 小節数は・・・げげっ!全部で291小節! トイレットペーパーみたいに長いじゃんか! マジに演れる(やれる)のかよ、これ。 心配になってきたぞ! 誰か俺に、十分な時間と、あと、"aeternam(永遠の)"じゃなくていいから"requiem(安らぎ)" をくださいっ!(逝)


2001年3月16日 "Sequentia"にアタック!

レクイエムの中でも最も長いセクションがこの"Sequentia"だ。

"Sequentia"の冒頭は「Dies irae(怒りの日)」と呼ばれる、 激しい、おどろおどろしさに満ちた詩句で始まる。「Dies irae(怒りの日)」というと、 あの、 ベルリオーズ(Hector Berlioz)の幻想交響曲(Symphonie Fantastique)などに出てくる「ドシドラシソラ・・・」で始まる有名な旋律を連想される方も多いかも。 あれは実はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律なのだ。 無論、 M.ハイドンは(そしてW.A.モーツァルトも)この詩のために全く別な曲を新たに作っており、 かの有名な「グレゴリオ聖歌の『怒りの日』」の旋律は出てこない。

んでもってまたこの詩がクソ長いんですよねぇ~。 普通の「ミサ」を作曲する際には「クレド(Credo/信仰宣言)」が一番長く、 「勝負どころ」なんですが、 レクイエムの場合にはこの「Sequentia」をどう扱うかがいわば「勝負どころ」だと思う。

W.A.モーツァルトはそのへんをよくわかっていて、 "Sequenz"(何故か「モツレク」ではこう呼ぶ)を 6つの部分に分け、 それぞれの部分に1曲ずつ曲を当てている。 すなわち、

の6曲。 それぞれの曲が詩の雰囲気を実に良く表していることは、 「モツレク」の演奏、 鑑賞経験のある人なら、 この題名(実は各部分の詩の冒頭)をみただけで、 「ああ、あの曲か」 と頭に浮かぶだろう。そのくらい詩と曲がマッチしているのである。

ところが、 M.ハイドンは、 この長大な部分を「"Sequentia"1曲」として作曲している。 上記6つの多彩な内容をM.ハイドンがどう処理しているのかが 気になるところだ。

ではまず・・・最初の部分"Dies irae, dies illa,(その日こそ怒りの日)"の冒頭部分を示してみよう・・・。

[実はW.A.モーツァルトの'Dies irae/怒りの日'(^^) (WAM_Dies_irae.gif, 11.5KB)]

ううむ、さすがだ。

Dies irae dies illa(その日こそ怒りの日)
solvet saeclum in favilla(あなたは世界を地獄の火で打ち壊すだろう)

とで始まる詩の内容にぴったりの激しい音楽だ。 弦楽器のトレモロとシンコペーションの組み合わせ。 低音(通奏低音)の分散和音とシンコペーションの組み合わせ。 ティンパニとクラリーノ(トランペット)の同音連打。 無論、全ての楽器に"f(フォルテ)"の指定がある。 すべてが詩の内容を表現している。 見事としかいう他はない。 それにしても、 この楽譜どこかで見たような、 ああっ! これは モーツァルトのレクイエム の楽譜だった(←馬鹿)。

我らがM.ハイドンの楽譜ははこちらだった。 今からお見せする。

[M.ハイドンのレクイエムの'Sequentia' - 'Dies irae(怒りの日)'の冒頭 (MH_Dies_irae.gif, 10.1KB)]

こちらもなかなか見事だ。 まずその調性。 「c-moll(ハ短調)」はベートーヴェンの「運命」を思い起こさせる。 「ベートーヴェンのハ短調」の「源(みなもと)」をここに見る思いがする。 そして、 やはり全ての楽器に"f(フォルテ)"の指定がある。 合唱部分は"f(フォルテ)"と明示されていないが、 恐らく"f(フォルテ)"にしないと楽器と拮抗しないだろう。 通奏低音の落ち着かない分散和音の動きは、 モーツァルトの"Dies irae"にも見られる物で、 感情の激しさを表していると解釈できる。 弦楽器のトレモロやシンコペーションは無いが、 細かく激しく上下する分散和音、 および、 モーツァルトのレクイエムでのティンパニやクラリーノに見られる 「同音連打(ちなみにバロック音楽や古典派音楽前期には 『同音連打』 は 『気持の高ぶり』 を意味する約束事であった。 これは更に時代をさかのぼって、 ルネサンスの時代の音楽(パレストリーナなど)で 「『同音連打』は『禁則』」 とされていた事と大きな関係がある。)」 が、ヴァイオリンパートにも割り当てられている。 「3拍子」というのもドラマティックな拍子だ。 (モーツァルトが、晩年にこの曲と同じ 「c-moll(ハ短調)の3拍子」 でピアノ協奏曲の傑作をのこしていることを思い出した)。


2001年3月19日 "Tuba mirum(奇妙なラッパ)"はどこに?

"Sequentia (またはSequenz)"の第2部分は、 "Tuba mirum spargens sonum (奇妙なラッパの音が伝わってくる)" という歌詞で始まる。

モーツァルトはここの部分に対して実に効果的な方法で作曲している。 「モツレク」をご存知の人なら誰もが印象に残っているだろう。 以下の楽譜である。

['Tuba mirum' in Mozart's requiem KV626 (WAM_Tuba_mirum.gif, 5.22KB)]

「奇妙なラッパ」の象徴としてトロンボーンが効果的に使われている。

トロンボーンの出だしの音型は、直ちにバスの独唱によって 歌詞の付いた形で繰り返される。 これによって「奇妙なラッパ」のイメージは いやが上にも聴き手に対して印象づけられる。 そのように作曲されているのだ。

さて、我らがM.ハイドンの場合はどうだろう。

先日の日記に記したとおり、 M.ハイドンは"Sequentia"全体を一曲として扱っているため、 "Tuba mirum(奇妙なラッパ)"の歌詞も、 曲の途中で登場することになる。 "Sequentia"をぼんやり聴いているだけでは、 "Tuba mirum(奇妙なラッパ)"の歌詞の部分を聞き逃しそうだ。

しかし、 M.ハイドンはM.ハイドンなりに「奇妙なラッパ」を示唆する オーケストレーションを行っているのだ。 以下にその楽譜を示そう。

['Tuba mirum - M. Haydn's requiem (MH_Tuba_mirum.gif, 12.9KB)]

黄色く塗った部分が "Tuba mirum spargems sonum(奇妙なラッパの音が伝わってくる)" の歌詞、 及びそれに直接関係すると思われるオーケストレーションである。

モーツァルトのレクイエムの"Tuba mirum"で主役になっている楽器 -「トロンボーン」- はここでは脇役だ。 ひたすら合唱のアルト・テノール・バス声部をなぞることに専念している (この手法をコラ・パルテ(colla parte)と呼ぶことは以前述べた)。注目すべきは「クラリーノ」「トランペット」「ティンパニ」、 この3者の振る舞いだ。 この3者、実は"Tuba mirum"の直前まで9小節間休符をとっていて、 "Tuba mirum"が始まる第23小節で、 突然"f(フォルテ)"で登場するのだ。

第23小節目、 特にクラリーノやトランペットの16分音符を含んだリズムは目立つ。 ちなみに、 "Sequentia"では、 「金管楽器の16分音符」 はここで初めて登場する物だ。

歌詞「奇妙なラッパ」の箇所で初めてクラリーノ、 トランペットに導入される16分音符の動き。 これは偶然ではないだろう。

モーツァルトほどではないが、 M.ハイドンも、彼なりの方法で "Tuba mirum(奇妙なラッパ)" を少しでも印象づけようとしたのではないだろうか。 そのような意図を感じる。


2001年4月5日 チョット寄り道してハイドンのミサプレヴィスを・・・

去る3月26日、 最も懇意にしている御友人から、 グローリアの合唱練習会の報告がメールで入ってきた。 ちょっと抜粋してみよう・・・(一部個人名は修正。 また、 文字強調は私が付けた物である)。

最初の合わせ練習ということもあって、 K先生のヴォイトレが1時間ほどあり ました。 発声や発音について、 日本語との違い、 特にe母音とか、胸声と頭声が 混じるラ~ミあたりの音程など、 よりよい和音になるために気を付けてほしいこ とに関する話を聞きながら、 実際に声だしも交えてのトレーニングでした。
その後は、 うっちい先生の指揮でミサブレヴィスのKyrieとEt in terra pax hominibusの練習がありました。 内容は、いつもの通りですがブレス位置の確認、 数回の通し、 部分的な練習とパート毎の練習等です。 全体の感想としては、この 2曲はfとpの強弱記号しかないはずなんですが、 その差がはっきりしない部分が半分位あるような気がします。
で、 本命の合コン(懇親会)ですが・・・(以下省略、読者のご想像にお任せ(笑))

というわけである。 うっちいさんはこちらが 「M. Haydn」 にうつつを抜かしているのを見破ったが如く(笑)、 兄貴の「J. Haydn」 にサクサクと着手されたようだ。 上のメールの中で、 特に強調した部分。 これについては、私は、

「最終的には指揮者が決定することだが、 我々1人1人の演奏者が主体的に考えてみるのも、 悪いことではないだろう」

との考えに立ち、 事実、 それをこのウェブ上にて実践してきたつもりである。

それにしても、 ううむ、 「J. Haydnのミサ」か、 どれ、 チョット楽譜をひっくり返してみるかな・・・。

・・・というわけで、 上のメールへの返信のネタも兼ねて、 ちょっとJ. Haydnの「ミサ・ブレヴィス」をつまみ食いしてみた。 つまみ食いするにあたっては、 どこが適当か? やはり「クレド(credo:信仰宣言)」であろう。

「クレド」の歌詞は全て、
 「私は○○○・・・×××を信じる」
のスタイルを持ち、 この「○○○・・・×××」の中には、 キリスト教に関する実に種種雑多な物が入っているのだが、 その中でも「キリストの一生」をざっと一くだり述べた部分がある。

歌詞にすると、

「Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgune /
精霊の力により、 処女マリアから1人の人間の形として生を受け」
「Crucifixus etiam pro nobis: sub Pontio Pilato passus, et sepultus est/
救いのために、 ポンテオ・ピラトにて十字架に磔(はりつけ)られ、 苦しみを受け、 埋葬され」
「Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas./
聖書の述べるところにより、 3日後に復活し、」
「Et ascendit in coelum: sedet ad dexteram Patris./
天へ昇り、 主の右(主が最も信頼をおくことが出来る位置)に座す」

この辺が、 「クレド」、 いや、 「ミサ通常式文」 のクライマックスというべき場所だ。 内容も変化に富んでおり、 かつ、 具体的である。 特に「Crucifixus/十字架に磔(はりつけ)られ」の部分なんて、 「ポンテオ・ピラト(Pontio Pilato)」なんていう『固有人名』が出てくるぐらいだ。 従って、 この付近をつまみ食いすることで、 作曲者がミサの歌詞にどう接したか、 およその見当が付くだろう、 と踏んだのである。

特に重要なのは、 やはり「Crucifixus/十字架に磔(はりつけ)られ」の付近だろう。 過去の「大作曲家」の例を挙げてみる、 といっても今のところ手許にはバッハとベートーヴェンしかないのだが(笑。 ぢつはモーツァルトのハ短調大ミサ(KV 427)もあるんですが、 残念ながら未完で、"Crucifixus"は曲がつけられてないんですぅ+_+;) まあ、 ご勘弁を・・・(^^)。

まずは、J. S. Bach " Messe in h-moll " (バッハ、 ロ短調ミサ)・・・

[J .S. Bachの「ロ短調ミサ」における「Crucifixus」および「Et resurrexit」(Crucifixus_BWV232.gif, 23.2KB)]

こんな具合である。 「Crucifixus / 十字架に磔(はりつけ)られ」 「Et resurrexit / 復活」 に対する音楽、 見事というしかない。 特に、 「Crucifixus / 十字架に磔(はりつけ)られ」 に於けるラメントバス(Lament Bass, 「悲嘆の低音」, 半音階で下降する低音)、 および、 「Et resurrexit / 復活」直前での音量の減衰("Piano"の指定がある)、 及び、 調の推移、 そして、 「Et resurrexit / 復活」では一転して、 華麗な管弦楽法。 トランペットが主役になっている。 先行する 「Crucifixus / 十字架に磔(はりつけ)られ」が弱音、 かつ、 事実上の「ア・カペラ」で終了しているだけに、 この効果は大きい。

続いて、 L. van. Beethoven " Missa solemnis , D-dur"(ベートーヴェン、 荘厳ミサ、 ニ長調)・・・

[Beethoven Missa solemnisにおける「Crucifixus」(Crucifixus_Bth_op123.gif, 20.7KB)]

バッハの 「Crucifixus / 十字架に磔(はりつけ)られ」 が「悲哀」とすればベートーヴェンのそれは 「苦痛」 とでも表現すべきか。 開始部分における激烈なシンコペーション、 フォルテとピアノの絶え間ない交代、 減七和音が出現し、 解決したと思えばそれはまた別な減七和音を呼ぶ。 バッハの 「ラメントバス」 とはまた違った方法での「悲嘆」の表現である。

更には、 「Et resurrexit / 復活」

[Beethoven Missa solemnisにおける「Et resurexit」直前部(Et_resurexit1_Bth_op123.gif, 13.7KB)] [Beethoven Missa solemnisにおける「Et resurexit」(Et_resurexit2_Bth_op123.gif, 14.4KB)] [Beethoven Missa solemnisにおける「Et ascendeit」(Et_resurexit3_Bth_op123.gif, 16.5KB)]

に於けるf(フォルテ)のア・カペラ合唱。 バッハのような「歓喜」ではなく、 むしろ、 「驚き」 の雰囲気すらする。 それに続く 「Et ascendit / 昇天」 の歌詞の部分で、 次々と各声部に導入される上行音階の連続 (「昇天」という言葉の「音楽化」である)、 いずれも強烈な印象を聴き手に与える。 バッハと全く異なった方法ではあるが、 ここでも、歌詞の内容の見事な「音楽化」が聞き取れる。

さて、 我らがJ. Haydnの「ミサ・ブレヴィス」ではどうだろう?と 「Crucifixus / 十字架に磔(はりつけ)られ」の周辺を中心に見てみる。 J. Haydnの「ミサ・ブレヴィス」は全曲そのものが15分前後と短く、 無論、 「クレド(Credo)」 も全曲演奏しても5分足らずのごくごく短い曲である。「クレド」の冒頭の歌詞は以下のようである。

表:クレドの冒頭("Et incarnatus est"の直前まで)
段落番号 原文 日本語訳
Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem coeli et terrae, visibilium omnium, et invisibilium. 私は信じる、唯一の神、全能の父、天と地、見ることが出来るもの、見ること能はざるざるものすべての創り主を。
Et in unum Dominum Iesum Christum Filium Dei unigenitum(J. Haydnのミサブレヴィスでは本段落省略) 私は信じる、唯一の主、神の御一人子イエズス・キリストを(J. Haydnのミサブレヴィスでは本節省略)。
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero.
主は、全てよの先に、父より生まれ、
神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神。
Genitum, non factum, consubstantialem Patri, per quem onmia facta sunt. つくられずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて創られた
Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de coelis. 主は我々人類のため、また我々の救いのために天より下った

んでもって、 J. Haydnのミサブレヴィスでの「クレド(Credo)」冒頭は以下の通り・・・

[J. Haydnの'Missa brevis(Hob. XXII:7)'における'Credo'冒頭 (JH_credo.gif, 14.7KB)]

いきなり上の文章の1,3,4,5段落がほぼ同時に重なって ごちゃごちゃと(^^;)歌われ出すのだ。

バッハやベートーヴェンの便所巻紙のように 「クソ長い」 ミサ(笑)ばかり見てきた私には、

「何じゃこりゃあ!?」

という感じだ(^^;)。 で、 上の4段落を一気に8小節で歌い終わり、 2小節の間奏を経て、 "Credo"開始から11小節目でもう、 "Et incarnatus est"だ。 (ちなみにバッハのロ短調ミサ(BWV 232)では、 "Credo"開始から"Et incarnatus est"突入まで209小節、 モーツァルトの未完成のハ短調ミサ(KV 427)では、 同じ部分に111小節、 ベートーヴェンのミサソレムニス(Op. 123)では、 123小節を要している。 これらの1/10以下の長さだ。)

「をいをい、 早すぎねぇか?」

という気がするのだが(笑) とにかく、 "Et incarnatus est..."以下を見よう・・・。

[J. Haydnの'Missa brevis(Hob. XXII:7)'における'Et incarnatus est'開始部分 (JH_et_incarnatus.gif, 9.50KB)]

・・・がらりと雰囲気が変わる。

"Credo"の先行部分との対照性はあらゆる角度から指摘できる。

まず、
強弱(器楽パートに見られる、 "f"(フォルテ)から"p"(ピアノ)への変化)、
そして、
拍子("4/4"→"3/4")、
更には、
発想記号(速度表示:"Allegro"→"Adagio")
何よりも、 合唱部分が、 それまでの「ごちゃごちゃ」(笑)をピタリと止め、 ほぼ同じ動きに統一される。

J. Haydnが、

「いよいよ『イエス・キリスト』の生涯が語られる」

という "Et incarnatus est"で、 作曲態度をがらりと変え、 少なくともそれまでの「喧噪(?)な『信仰宣言』」から、 「神妙(?)」 になったことは明らかだ。

そして、 第31小節の2拍目から、 いよいよ「救いのために、 ポンテオピラトによって、 (キリストが)磔になる」・・・ "Crucifixus etiam pro nobis, sub Pontio Pilato"へ突入・・・。

[J. Haydnの'Missa brevis(Hob. XXII:7)'における'Crucifixus'開始部分 (JH_crucifixus.gif, 10.5KB)]

歌はバスのみが指定されている。 他のパートは休みだ。 更に、 この「合唱パート」自体には強弱の指定がないが、 器楽パートには、 "pianiss."、 即ち"pp"(ピアニシモ)の指定がある。 "Et incarnatus est"開始よりも更に弱くなるのだ。 そして合唱バス、 及び、 器楽の低音(Continuo)は、 ユニゾンでゆっくり半音階で下降・・・ 先程示した、 バッハの「ロ短調ミサ」の"Crucifixus"の「ラメントバス」(Lament Bass,悲嘆の低音)と同じものだ・・・

・・・Credo, 我は信ず、以下のことを(^^;)

ハイドンは諸先輩のミサを研究していたに違いない。 当然、 バッハの「ロ短調ミサ」については、 その存在も内容も充分に把握していたのだろう。 ハイドンのこのミサ、 確かに演奏時間は短いのだが、 明らかに、 バッハの「クソ長い名曲」である「ロ短調ミサ」と同じバックボーンの上にある。

で、 結論・・・

うぬぬ、恐るべしJ. Haydn。
いかにも短き「Missa brevis」、 雖然(しかりといへども)、 侮(あなど)り難し!

・・・この一言をもって、 メールの返事に代えさせていただきます。>H○○E様(笑)

2001年5月24日 J. ハイドンのミサプレヴィスの続き(^^;) 特にその「古めかしさ」に注目

「ちょっと寄り道」のつもりが、 なんだか入れ込んじゃったぞ(笑)。 J. ハイドンの「ミサ・ブレヴィス」を ちょっと続けてみたくなった。 今回は特にその「古めかしさ」をピックアップしてみたい。 すでに1月23日の部分で、 「J. ハイドンの 『ミサブレヴィス』は 意識的に古い様式を用いているように見える」 旨書いたが、それを具体的にあげてみよう。

まず最初にJ. ハイドンの「ミサ・ブレヴィス」の「キリエ(Kyrie)」を見る。

['J.HaydnのMissa brevis (Hob. XXII:7)'の'Kyrie'開始部分 (Kyrie_1.gif, 6.70KB)]

ご覧の通り、 編成は、 第1・第2ヴァイオリンと混声4部合唱と通奏低音(Basso Continuo)だ。 ヴィオラを欠いた編成は「トリオ・ソナタ」を思わせる。 ただし今回のM.ハイドンのレクイエムも、この点では同じ編成だ。 従って、編成だけを見て「古い様式」と決めつけることはできない。

次に、 「グローリア(Gloria in excelsis Deo/天の極めて高いところは神に栄光)」 を見ていただこう。

['J.HAydnのMissa brevis (Hob. XXII:7)'の'Gloria'開始部分 (Gloria_1.gif, 7.98KB)]

その次に、 以下の音楽をご覧あれ

A.Corelli(コレルリ)の合奏協奏曲第2番(op.6-2))、第10小節~13小節(Corelli_6-2_1.gif, 6.91KB)]A.Corelli(コレルリ)の合奏協奏曲第2番(op.6-2))、第14小節~19小節(Corelli_6-2_2.gif, 7.47KB)]

これは、ハイドンのこの作品に先立つこと約35年前、 後期バロックの重要な作曲家「アルカンジェロ・コレルリ(Arcangelo Corelli)」によって作られた 合奏協奏曲第2番(op.6-2)、その一部を取り出した物である。 1小節ごとに交代する編成、 特徴的なリズム(これはそのリズム譜 (Gloria_rhythm.gif, 236 Bytes))、 等々、 この2曲の間には、 色々な共通した特徴を見いだすことができる。 J. ハイドンのミサブレヴィスのグローリアは、 A. コレルリの合奏協奏曲作品6-2とよく似ているのだ。

A. コレルリは、 バロック器楽曲の中で極めて重要な位置を占める作曲家である。 後期バロックに盛んになった 「独奏ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」 は、 彼がその突破口だった。 また、 トリオソナタを拡張した「合奏協奏曲」も彼の開拓した重要なジャンルだ。 彼のスタイルはバロック音楽末期の巨匠「G.F. ヘンデル」に受け継がれた。 ヘンデルもたくさんの合奏協奏曲を書いたが、 いずれもコレルリの深い影響が認められる。 現在、 ヘンデルの合奏協奏曲の楽譜が手元にないのが残念なのだが、 A. コレルリの作品6-2や、 J. ハイドンの「ミサ・ブレヴィス」 の 「グローリア」に似た音型を用いた曲もある。

この曲「ミサ・ブレヴィス」が作られとき、 J. ハイドンは16~17歳であった。 まだ音楽界には「バロック音楽の名残」がかなり残っていただろう。 この曲も当然、 「バロック音楽の伝統」の強い影響の下に作曲されたと想像することができる<脚注>

さらに注目すべき点は、 「グローリア」楽章 の譜面が「Et in terra pax hominibus(地には善意の人に平和あれ)」 から開始されている点だ。 「Gloria in excelsis Deo(天の極めて高いところは神に栄光)」 が譜面上に存在しない。 これは、 この「グローリア」楽章の演奏直前に、 司祭(あるいは司祭役のソロ歌手)が 'Glo-ri-a in ex-cel-sis De-o'(Priest_sings_gloria1.gif, 549 bytes)と歌わなければならないことを示している。

このスタイルは、 ルネサンス時期のカトリック教会音楽の伝統をふまえており、 その意味では、バッハの「ロ短調ミサ」よりも古い様式なのである。

以上のようにして、 J. ハイドンの「ミサブレヴィス」は「古い様式」に基づいて作曲されていることが分かってきた。 このことは、 当然「演奏」にも影響する。 例として、 「前打音(appoggiatura)」を取り上げてみる。 この曲には、 前打音が頻出しているが、 バロック音楽の伝統をふまえるならば、 これらは、
(O_appoggiatura.gif, 809 Bytes) と演奏すべきであり、
(X1_appoggiatura.gif, 772 Bytes)のような、 前打音上にアクセントを欠いた演奏法 (長前打音から次の音への進行は、 和声学で云うところの「不協和音→解決」であり、 言葉を代えていうなら、「緊張→弛緩」である。 従って、 バロック・古典派の音楽では、 長前打音は次の音(解決音)よりも強く演奏されなければならない)や、
(X2_appoggiatura.gif, 797 Bytes)のような、 「ロマン派音楽以降で用いられる『短前打音』」は、
伝統をふまえる立場からは「誤り」でないか、 と、 異議申し立てをしなければならない。

最後に、 この「ミサブレヴィス」の「キリエ(Kyrie)」 を聴いた瞬間に私が連想した曲の楽譜を以下に掲げる。 先ほどと同じ、A. コレルリの合奏協奏曲からの抜粋だ。 作品6-12の第1楽章冒頭である。

A.Corelli作曲 合奏協奏曲作品6-12、第1楽章冒頭 (4.76KB, Corelli_12-1.gif)

なんか似てるような気がするんですよね~、 というわけで、 本日はこれにて擱筆!(^^)

脚注:J.ハイドンの「ミサブレヴィス」の作曲年代は1749年頃、 この時期にはバロック音楽演奏法を総括する重要文献が数多く誕生している。 クヴァンツ(J.J.Quanz)による「フルート奏法試論」(1752年)、 大バッハの2番目の息子(C.P.E.Bach)による「正しい鍵盤奏法試論・第1巻」(1753年)等である。 (ここに記載した年は音楽之友社発行の「新音楽辞典-人名」(1982)による)・・・というわけで本文に戻るにはここを選択してください(^^)。

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