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"Gloria" Diary/グローリア日記 2002(1)

2002年末、11月30日に、宇都宮市内、 「栃木県総合文化センター」で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.10」 という演奏会が催されます。こちらに演奏会案内を掲載しています。 私は毎回この演奏会にチェンバロなどの通奏低音奏者として参加しているのですが…今回採りあげる曲は、かの有名なJ.S.バッハの「ロ短調ミサ(Messe in h-moll)」でありますっ! はっきり申し上げて、非常に手強い相手でありますっ! しかも、バッハの曲ですから通奏低音は非常に重要、すなわち、私にとっても恐るべき相手なのですっ!! 果たして、無事に演奏会本番を迎えられるのか?以下をご覧ください・・・

ご注意:
1.テキスト量が膨大になってきたので、以下のように分割しました。


2001年12月8日 次回曲目の正式披露

この日は 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」本番の日。観客に配布されたプログラム冊子の末尾には、以下の記載があった。

「次回『グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.10』は10周年記念にバッハの『ロ短調ミサ曲』を演奏します』」

ロ短調ミサ!・・・、 私はかねがねこの曲にあこがれ、 「いつか、死ぬまでに1回は、この曲の演奏に通奏低音(Continuo)で参加したい」等と考え、 友人にもそのような話をしていたのだ。 その「あこがれの曲」「死ぬまでに1度は・・・」が今や我が眼前にぶら下がっている。 私は興奮した、 が一方で心配にもなったのである。ホントに俺にできるのか?


2002年1月31日 資料をそろえる

さて、これからは、私が現在のところ「ロ短調ミサ」を勉強するために揃えている資料を紹介しておく。 「ロ短調ミサ」は有名曲だけに、これについて研究したり解説したりした文献の数も多い。 従って、 「グローリア日記Vol.9」で行ったように、 私がこのページで今後 「『ロ短調ミサ』の樂曲そのものを研究していく」 のは今更「野暮」な側面もあるだろう。 そこで今回は研究的側面を幾分省略し、 気が向くがままに書かせていただく。 このページをお読みを皆様にも是非とも、 「ロ短調ミサ」の各種解説、文献を参照されることをお願いしたい。 以下、私が現在所有している「ロ短調ミサ」に関係する資料は以下の通り。 ご参考まで。

1. BÄRENREITER (BARENREITER) MINIATURE SCORES
"J. S. Bach MESSE IN H-MOLL BWV 232 - J. S. Bach ミサ ロ短調"
(音楽之友社, OGT 601, 1976)(ISBN4-276-90916-3)

これは、 ロ短調ミサのポケットスコアである。日本語とドイツ語の短い解説が付いている(ただしこの解説の内容はあまりアテにならない((^^;)2002/6/21追記))。 日本では比較的容易に入手可能な物だ。

合唱団の人にも、管弦楽団の人にも、 こうした「フルスコア」の入手を強くおすすめする。なぜなら、 ヴォーカルスコア(管弦樂部分をピアノ伴奏に編曲したもの)や、 ましてや各楽器パートのパート譜のみではこの曲に対する作者の意図、 作者が伝えようとした情報などをつかみ取ることは絶対に不可能だからだ。こうした「作者の作曲意図」 「作者が音楽を通じて伝えようとしたメッセージ」はフルしコアでしか学ぶことができない。

2. ヘルムート・リリング著,松原 茂 訳, "バッハ・ロ短調ミサ曲" (株式会社シンフォニア社 1979)

これも大きな楽譜屋で入手可能。この書籍は以下の本の日本語訳である。
Helmuth Rilling, "Johann Sebastian Bach's H-Moll Messe(HE 24.007) (Hassler-Verlag, 1979)
(原著はドイツ語)

私はこの本を先ほど紹介したフルスコアと並べて、両者を比較しつつ研究されることを望む。. この本の表現は若干難解なところもある。 また1.で紹介した解説文とある意味で全く対照的な意見が記載されているのも興味深い(・・・20年ほど前の著作だが、1.の解説よりもはるかに今日(こんにち)の正統的な解釈に近い。その「先見性」には感心する(2002/6/21追記))。 解析内容は実に細かく、 ミサの歌詞とJ.S.Bachの作曲した音符や楽器の割り振りの相関関係についても丁寧に説明されている。

3. 礒山 雅, "Johann Sebastian Bach MATTHÄUS-PASSION (MATTHAUS-PASSION) / マタイ受難曲" (東京書籍,1994)(ISBN5-487-79100-6)

知るぞ人知る、日本におけるバッハ研究の最前線を驀進されている礒山教授(I教授)の著書。 何故、「マタイ受難曲」が?と思われる人も多いかも知れないが、 両者ともにバッハの宗教的声樂曲の中で最大の規模と内容を含む。 内面的にも関連があるかも知れない、 あるいは、 両者に共通する思想・ 作曲技法などが存在するかも知れない、 と思ったのだ。 なお、 「マタイ受難曲」の管弦樂総譜(スコア)は音楽之友社から出版されている。 これも比較的容易に入手できる。


2002年2月7日 キリエ・フーガ主題

さて、それでは音樂の内容へと進んでいこう。 冒頭の合唱はミサの通常式文に従い、 "Kyrie"(キリエ:憐れみの賛歌)から開始される。 キリエ冒頭は、 金管樂器・打樂器を除く全ての樂器と、 全ての合唱による"Kyrie eleison(主よ、憐れみ給え)"の叫びから始まる。 その後速度標語は"Lagro"に変わり、 印象的な旋律が登場する。(譜例(a)).

[The theme of "Kyrie-fugue" (Kyrie_theme.gif, 1.40KB)]

ミサの第1曲目の「キリエ」全体が、この主題のフーガ的展開に基づいて行われている。 このため、 この旋律を「キリエ・フーガ主題」などと称することができる。

この旋律を見ると、 半音階的進行がかなりのウェイトを占めていることがわかる。 半音進行の多さ、 速度(Largo)、 調性、 さらには、 気分的にもこの「キリエ・フーガ主題」は、 同じくロ短調でかかれたバッハの 「平均律クラヴィーア第1集24番フーガ」 の主題(b)によく似ている。

[樂器上のキリエ・フーガ主題(Kyrie_theme_inst.gif, 2.11KB)] ['平均律第1巻24番のフーガ主題(WTC24_1.gif, 1.63KB)]

こうした半音階的な動きは、 前打音(appoggiatura)と見なすことができるだろう。 キリエフーガ主題についても、これが「前打音」であることは、 キリエ・フーガ主題が楽器によって演奏されるときに半音階的な動きの部分にスラーが記入されていることからもわかる。

[典型的な前打音(Appoggiatura.gif, 2.15KB)] [実作品の例(Bach) (Appoggiatura_in_Bach.gif, 1.77KB)] [実作品の例(Mozart) (Appoggiatura_in_Mozart.gif, 1.91KB)]

上の楽譜で、(c)で示した物が、典型的な「前打音」の例である。 この「前打音」は他の有名な楽曲でもたびたび遭遇する。 (d)や(e)はその一部である。

ただし、「キリエフーガ」の場合は、 上に掲げた(c),(d),(e)等の「他の例」の場合と完全に同一である、 というわけではない。

(b)~(e)の例では前打音は全て「強拍」上に置かれている。 前打音は一種の「非和声音」であり、前打音が鳴る瞬間、 和音は「不協和音」になり、一種の「緊張状態」に置かれる。 前打音の次の音によって、 この「非和声状態=緊張状態」が解消されるのだ(こうした和音進行を『解決進行』と呼ぶ)。 それ故、この類の前打音はある種のアクセントを伴う。従って、 「前打音が強拍上に置かれる」というのは、考えてみれば自然なことなのである。

ところが我々の「キリエ・フーガ主題」では、この「前打音」は強拍上に存在せず、弱拍上に位置している。 さらに、解決進行は前打音のみではなく、低音部の進行によって補強されている。このような「弱拍上の前打音」は、 音樂に独特の雰囲気を与えて居るように思われる。

「独特の雰囲気」は、具体的には「作曲者バッハの心底からの真摯な思い」 のようなものではないだろうか、と思っている。 というのは、これと似たような例をバッハの別な曲に見ることができるからだ。 以下に示す例は「ロ短調ミサ」と並ぶバッハの宗教曲の超大作、 あの「マタイ受難曲(BWV 244)」の中の、 アルト独唱によるアリア、"Blute nur, du liebes Heltz.(愛すべき君の心よ、 血を流すが良い)"である。

["マタイ受難曲"から、アルトのアリアAria "Blute nur, du liebes Herz" (Blute_nur.gif, 8..19KB)]

この曲では、"Blute(血を流すがよい)"という単語が 「弱拍上の前打音」によって強調されているのを見ることができる。

・・・「 研究的側面を幾分省略し、気が向くがままに書かせていただく」と宣言した割には、 いきなり肩を張った内容を書いてしまった。 このほかにもこのキリエフーガ主題には樣樣な特徴がある、 が、とりあえずこの辺で一息つかせていただきます。(^.^)


2002年3月3日 第1回合唱練習「見物」(^^)

天気が良い。 確か今日は「グローリア・クワイアー」("グローリア"の合唱隊)の初合同練習と聞いていた。 私は「グローリア・アンサンブル」("グローリア"の器樂隊)に属するため、 参加する必要はないのである。ただ、 この日は天気が良かった、 それに久しぶりに「グローリア」 の皆さんにもお目にかかりたいし、幸い、体調もそれほど悪くなかった。 「ここはひとつ、相手の敵情視察・・・じゃない、状況視察を・・・」 という訳の分からぬ名目にて 合唱の練習の様子見に出かけることにした。

私が到着したときには、最初の"Kyrie"の練習中。 各人の発音、音色など、 未だ揃っていないところがある、 と指揮者のK先生の話があったが、これには私も同感だ。 ただし、初合同練習にしては「音程」は揃っている。 さらには曲が「それなりに流れに乗って」聞こえる。 こいつはたまげた。第1回合唱練習でここまで行くかい? 更に途中からは、第3曲「第2キリエ(Kyrie)」の音取り練習になったが、 この進捗も早い。「甚速矣、合唱読譜力」などなど思いつつ、 今までのうのうと構えていた「鈍感下手クソ通奏低音」の私だが、 ちょっと姿勢を改めないとまずいぞ、という気になった。

第3曲「第2Kyrie」の音取り練習中、 指揮者のK先生と、しばし談話。 K先生は既にこの曲の中に見られる様々な「書式/様式」を区別されておられて、 「第2Kyrie」や「Gratias agimus tibi」は「古様式」だ、という認識を持たれていた。 (ちなみにK先生はこの"Gratias agimus tibi"が大好きだとおっしゃっておられました*^^*) で、私が調子に乗って曰く
「してみると、"Gloria in excelsis Deo"の前半は、 当時の『新しい様式』ってところでしょうか。いわば、 『協奏曲』のスタイルです」
等々話す。K先生はクレド/ニケア信経(Credo / Symbolum Nicenum)の第1曲目と第2曲目の関係について検討されていたが、 私は、
「通奏低音(Continuo)の音型(音階進行)が似ているし、 歌詞"Credo in unum Deum"が重複しているので、 1曲目と2曲目のつながりは結構強いのじゃないでしょうか?」
と私見を述べた。K先生とのお話はそれほど長い時間ではなかったのだが、 このクソ長いミサ曲へアプローチする幾つかのヒントを得たような気がする。

合唱練習の終了後は、「懇親会」と称した飲み会が始まった。 生憎この飲み会に関しては正確に記述することができない、 というのは私自身がワインとビールでべろべろに酔っぱらってしまったからだ(爆)

翌日は・・・体調最惡(馬鹿)


2002年3月21日 パート譜がやって来た

数日前、私の手許に"Organo"と記された、ロ短調ミサの通奏低音鍵盤のパート譜が到着した。 ("Organo"の指定は、 オルガンパート用、 という意味ではなく、 広く通奏低音鍵盤用、 という意味である。) このパート譜は右手部分が記載されている。 元来右手が即興である通奏低音鍵盤は必ずしもこの音符に從わなくても良いのだが、 やはり、単に音程数字付きのバスパート譜よりも和音が読みやすくて、 便利なことは確かだ。

ところで、 このパート譜が私の手元に届いたときには1ページずつバラバラの紙であった。 すなわち私はこれを「製本」しなければならない。ところで總ページ数は・・・112ページ!(驚)

早速製本作業を開始する。隣り合うページの余白部分に糊を付け、 互いに貼り合わせていくのだ。 もし貼り合わせるページを間違えると悲惨なことになる。 一旦貼り合わせたページを、 お互いに、 紙が破れないように、 慎重にはがさなければならなくなるのだ。 ちなみに私は3回ほど貼り合わせるページを間違えた(+_+;)

作業を開始してから約2時間後・・・ようやく全部のページを貼り合わせ、 パート譜の「本」の形になった。これをしばらく眺めているうちに、 何か「表紙」がほしいなぁ・・・、と思いだした。そこで私は 以下のような文字を印刷をした紙を表紙に貼ることにした。

[私のパート譜の自作表紙 (MyCover.gif, 19.3KB)]

え?アヤしすぎる?「日」「獨」「韓」「英」4か国語の堂々とした表紙だと思いますが(爆)


2002年3月24日 「I教授」の講義聴講メモ

本日は、国立音楽大の教授である礒山 雅先生(ハンドル名「I教授」。 下効此也)が、 我々「グローリア」のメンバーに対して宇都宮で講義を行う、 ということだった。 「I教授」といえば、先日「マタイ受難曲」の文献の紹介時にもちょっと触れたが、 とにかく日本第一水準のバッハ研究者で、 国際的にも名が知られている、超一流の研究家だ。 (インターネット上のクラシック音樂界でもひときわ目立つ 「I教授の家」 というサイトを管理しておられる) 多忙なところを快諾していただいたI教授には 何度お礼を申し上げて良いか分からない。 (I教授、当日は、午後から立川などで別件の演奏会などに参加される、 というハードスケジュールだったそうだ。) 一方で、斯様な「大物」を見事に宇都宮にお呼びした「代表:S氏」の手腕にも大感謝だ。

I教授は「マタイ受難曲」については、 膨大な研究成果を1冊の本にまとめておられる(1月31日の日記参照) が、 「ロ短調ミサ」のみを集中的に扱った研究成果は、 私の知る限り単独の出版物としては出ていない。 (無論、 各種の著作物でロ短調ミサに言及した物はあるし、 まとまった形の「ロ短調ミサに関する講義」等は行われていたようだ) だからこそ今日の講義は、 バッハ研究家による「ロ短調ミサ」の把握のされかたの全貌をうかがい知る為の 貴重な機会であったわけだ。

この日は午後4時過ぎまで合唱の練習があり、 講義は、 予定通り午後5時から始まった。 聴講者は「グローリアクワイアー」(合唱隊)だけではなく、 「グローリアアンサンブル」(管弦樂隊)のメンバーも少なからず参加していた。 (私の隣の席に座っておられたのはコントラバスのTさんでした^^) 講義の前にはあらかじめI教授が作成されたレジュメが各人に配布され、 講義そのものの内容も非常に密度が濃かった、 というより、 白熱していた。 教会音樂・キリスト教音樂に関する膨大な知識を元に、 自筆譜の写しを我々に見せながら、バッハの作曲態度を演繹的に導き出す。 更には作曲当時のバッハの周辺の状況の変化、 代表的な演奏の鑑賞なども交えて、 「我々が、この曲をどのように扱っていくべきか」 までをも導き出す内容には、 非常な説得力を感じた。 この講義は午後7時に終了予定であったが、 講義する側も受講する側も非常に熱心で、 質疑応答も活発におこなわれ、 予定を30分以上超過してしまった。しかしこの超過時間を「長すぎる」と感じた人は一人も居なかっただろう。

講義を聴講し終わった今、 この講義に望む前に「私が抱いていた最大の疑問点」を含め、 幾つかの疑問が氷解し、 私なりの「ロ短調ミサを演奏するときの心構え」のようなものが おぼろげならがら1筋の線として浮かび上がってきたことを感じる。

ただ、残念ながら今時点の私はまだこの講義の 「まとめ」 を皆さんに提示することはできない。 私の考えはまだ不明瞭な状態であり、 軽はずみに文章化すると 私の真意が伝わらないおそれがある。 何よりも、私がこれまでの参考文献で持っていた情報と、 今回の講義の内容とを合わせて整理することが必要だからだ。

ただ、講義中に取ったメモが存在しているので、 (私は最近、各種の講義、 会議などのメモ取りにノートパソコンを使用することが多い。 この日もそうだった(^-^))それをほぼそのまま載せておく。 走り書きに近い形態の物だが、どうかお許しをm(_ _)m。

メモをご覽になる方はこの文章を指定(クリック等)してください。内容が表示されます。

今後の私のこの曲へのアプローチに際して、 今回のI教授の講義、 それから特にこのメモは、 1月31日の日記 にて言及した各種参考文献に匹敵する重要資料になるはずだ。 折を見てこのメモ内容の解説、 あるいはメモへの言及をしていこうと思う。 無論、私にとっては、 「このメモ等に記されたI教授の講義内容を自分の演奏にどう反映させていくか」 が、 最も重要な課題であることは言うまでもない。

※I教授とはこれをきっかけにして相互リンクをはらせていただくことになりました。 光栄です。今後とも何か縁がありましたら、よろしくお願いいたします。


2002年4月7日 混沌たるオケ合宿

「グローリアアンサンブル&クワイアー」のうち、 「アンサンブル」は、毎年4月初旬にキックオフ合宿というのを行う。 場所は栃木県北の田舎の町のペンションのようなところだ。 例年、 ここで今年度の「グローリア」で行う曲の「譜読み」が行われるのだ。

合宿のスケジュール表があるので、 引用してみよう。

一見過密スケジュールのようだが、所々にある「演会」というのがクセモノで、 実はここではめいめい勝手に持ち寄った室内楽の樂譜で遊んだりするのである。 特に、4月6日夜の「演会」は、アルコールが入り、なにがなんだか わからなくなってしまうのが通例なのだ。夜中の12時をすぎても誰も寝ようとしない。未だ体力の回復不十分との自覚がある私は 4月6日の「夜中の演会」からはさっさと抜け出し、先に就寝を決め込もうと思ったのだが、 そうは問屋がおろさなかった。

「おい、トリオソナタやるぞ!チェンバロ呼んでこい!」と声がかかり・・・半分以上ぼーっとした頭で通奏低音を行っていたら、 いつの間にか全曲終わっていた(^^;)。 かくして狂乱とも知的(痴的?)ともわからぬ宴の夜は更けてゆく・・・亂亂亂(爆)。

2日目(4月7日)は、疲労の極み。半分以上の時間、ダウンしてましたσ(^_^;)

で、肝心の「ロ短調ミサ」のほうはというと、

結局、歌が入らないと、よくわからないワイ(爆)

という点で皆の意見は一致(笑)。クワイアー(合唱隊)のみなさま、よろしくお願いしますm(_ _)m(意味不明)


2002年5月19日 オルガンとの「打ち合わせ練習」

毎年、「グローリアアンサンブル&クワイアー」での鍵盤通奏低音は私のチェンバロのみであったが、 今回は

などから、 「オルガンとチェンバロの両方を『通奏低音鍵盤』として用いよう」 ということになった。オルガン演奏担当は、 「グローリアクワイアー」の「合唱練習ピアニスト」を長年担当されているM.S.さんである。 オルガンは、本番の会場でもある「栃木県総合文化センター」 にあるポジティブオルガンが使用可能とのことである。

今日は、その 「オルガンとチェンバロの調整練習」の日なのだ。 私が練習会場に赴くと、 すでに指揮者のK先生、 オルガン演奏担当のM.S.さんが準備を終えていた。 M.S.さんは「合唱練習ピアニスト」を長年担当されて居ることからも分かるように、、 アンサンブルの心得は十分な人だ。で、早速オルガンとチェンバロで「合わせ練習」の開始。

練習開始早々、大きな問題が見つかった。ピッチ(音高)の問題である。 我々の演奏は通常「a=442Hz(ヘルツ)」で行っているのだが、 この日に用意されたオルガンのピッチは「a=441Hz」で調整されていることが判明したのだ。

「たかが1Hz」と言うなかれ。セント(cent)値に換算すると

1200×log(442/441)/log(2) = 3.92...(セント)

平均律半音は100セントだから、上記の式は「a=442Hz」と「a=441Hz」との間で、 「半音の約4%のずれ」になってしまうということなのだ。 私のような音痴鈍感鍵盤奏者(笑)はさておき、 音程に気を遣う樂器群、さらに何よりは合唱隊に対して この「4セント」は致命的な影響を与える。 さらに困ったことに、 「オルガンの調整」を行うことができる人間が我々の近處(栃木県)には居ないようなのだ。 M.S.さんは「いろいろなところを当たってみます」とおっしゃってくださったが、 少々不安定な要因を残す結果になってしまった。

とりあえずこの日は、私のチェンバロを「a=441Hz」を基準に調律し直し、 指揮のK先生、オルガン演奏担当のM.S.さん、 それに私の3人で「通奏低音鍵盤合わせ練習」を行うことにした。 この「合わせ練習」そのものは比較的順調に進み、 「この曲のこの部分はオルガン」「この曲のこの部分はチェンバロ」 などということも、大部分はかなり簡単に決定した。基本的方針としては、 「古様式」はオルガンベースとし、 「(当時の)新様式(協奏曲的樂章など)」は、チェンバロを積極的に 活用することになったのである。妥当な結論だと思う。


2002年6月16日 第1回合わせ練習

ついにやって来た。「合唱」と「オーケストラ」の第1回合同練習である。 開始時刻は午後2時。私は開始時刻を午後5時と勘違いして、 危うく遅刻しかけた(^^;)。 私が到着したとき、すでに練習会場には大勢の演奏者、歌い手が集まっており、 初回の合わせ練習独特の張りつめた雰囲気が滿ちていた。 早速チェンバロを持ち込み、練習に加わる。

驚いたことに、練習はものすごいスピードで進む。 「Kyrie(憐憫賛歌)」から始まって、4時間で 「Credo / Symbolum Nocenum(クレド(信仰宣言) / ニケーア信経)」の「Et resurexit(復活)」までとりあえず通してしまったのだ。 合唱はすでに全曲を把握したのだろうか?と思わせる。 K先生の注意はむしろ管弦樂に対しての物が多かったが、 管弦樂のほうも「それなりに」一通りは通すことができた。

さて、練習の感想を述べる・・・難しいっ!(笑) オーケストラの幹事であるY.K.さんは

「昔行った『メサイア』に比べれば易しい易しい~」

とおっしゃっておられたがどっこいぎっちょんちょん、 通奏低音(Continuo)パート(チェロ、コントラバス、鍵盤樂器)から見ると、 この曲は難所だらけだ。例えば、「Gloria(栄光賛歌)」の終曲、 「Cum sancto spiritu(聖霊と共に)」(速度は"Vivace"の指定有り)の 第60小節以下、怒濤の「h-moll(ロ短調)旋律短音階の乱れ打ち」。 ちょっと油断すると臨時記号を読み間違えてしまう。

[From the 60th-bar 'Cum Sancto Spiritu' in Bass and Continuo(CumSancto_60.gif, 3.20KB)]

(ちなみにここの部分は、上の樂譜をごらんの通り、合唱バスもユニゾンだ。 鍵盤彈きでさえこれを正確に彈きこなすのは容易ではないのに、 合唱でこの音符を発することが どれほど大変かは、私(="音痴鈍感鍵盤奏者"+"吹けば飛ぶやうな一介の下ッ端通奏低音的いたずら彈き")には想像もつかない)

更には、「Credo / Symbolum Nocenum(クレド(信仰宣言) / ニケーア信経)」の2曲目の音階の動き(この曲は速度指定が無いが、どう考えてもVivaceあたりが妥当だ)

[The beginning of 'Patrem omni potentiam' in Continuo (Patrem_omni_1.gif, 2.34KB)]

に見られる「怒濤の連続音階」(これもちょっと油断すると臨時記号読み間違え発生(^_^;))等、 通奏低音(Continuo)パートは「難所また難所」といった具合だ。

更に困ったことがある。この曲には随所に「フーガ(Fugue(英),Fuge(獨),Fuga(伊))形式」が登場する。 それはまあ良いとして、一般に「フーガ形式の曲」では、 「フーガ主題」を他のパートよりも浮き出る様に演奏するのが普通だ。 ところが、ロ短調ミサの中の「フーガ形式の曲」では、 通奏低音(Continuo)の動きが「フーガ主題」になっているのかいないのかが 不明瞭な部分があるのだ。 例えば、「Credo / Symbolum Nocenum(クレド(信仰宣言) / ニケーア信経)」の2曲目「Patrem OmniPotentem(全能なる父を)」でも

From the 51th bar in 'Patrem omnipotentiam' in Bass and Continuo (Patrem_omni_51.gif, 4.08KB)]

などは、まあ、「通奏低音(Continuo)は合唱バスと一緒にフーガ主題を演奏している」と見なせるだろう。 ところが同じ曲の前半に出てくる、以下の部分

[From the 21st bar of 'Paterm omnipotentiam' (Patrem_omni_21.gif, 3.70)]

は、どうか?合唱バスはフーガ主題そのものなのだが、通奏低音(Continuo)は? ところどころに合唱バスのフーガ主題と同じ音が見え、何となく合唱バスとのユニゾンっぽいが、 はたして、ここでの通奏低音(Continuo)は「フーガ主題」を演奏していると見なせるのかどうか? この辺の疑問は今後後々明らかにしていく必要がある。

更に個人的には・・・譜読み不足が見事に露呈した。 この曲、あれほど好きで聞き込んでいたはずなのに、 獨唱曲、重唱曲などの大部分が暗譜できていなかったのだ。 見当違いの和音を立て続けに鳴らしてしまった。

練習後、近くのファミリーレストランで管弦樂の一部のメンバーの人々と夕食。 チェロのトップのB氏曰く、

「あのさあ、(俺たちは) とりあえず、 楽譜通りに音は出ているけど、 ただ『楽譜を追っているだけ』で、 楽譜の意味内容までつっこめていないんとちゃうやろか」

この言葉は、今の私に当てはまる部分がある。 ごく最近、「音楽ひとりごと」で 「ピアノ独奏と通奏低音(Continuo)をどう両立させるか」などと生意気なことを書いたが、 それどころではない。ロ短調ミサの通奏低音(Continuo)こそが現在の私の音樂活動の中心的課題だ。 もう一度、「ロ短調ミサ」の曲の咀嚼をやり直そう。 私のネット親舊の鍵盤仲間の間では、この時期(2002年6月末~7月頭)主に 「アマチュアピアノコンクール」の話題で盛り上がっているが、 私はこれには背を向けなければならない。 少なくとも次回の「合わせ練習」までは・・・。


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