Basso Continuo's Music Page
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という具合に登録されています。そういえば、 私がYahoo!Japanに登録申請するときも、これで申請したのでした。 ということは、私のサイトは、何と「ピアノ関連サイト」だったのですねっ!(^^;)。私、すっかり忘れてましたっ!(爆)というわけで(意味不明) 今回は一応、ピアノ曲に関連した話題です・・・ネタはベートーヴェンのピアノソナタです。
ベートーヴェンは、フーガの歴史の中で「バッハ以降の最重要人物」の一人です。「第九」にフーガが多くの箇所で利用されているのはもちろんですが、フーガそのもの、特に、ピアノソナタ作品106(第29番「ハンマークラヴィーア」)の終楽章とか、作品110(第31番)の終楽章、さらには弦楽四重奏曲「大フーガ」等は、ある意味、「バッハ以降で最高の水準と独創性を発揮したフーガ」 だとさえ思えます。
この晩年の傑作フーガの中に、ピアノソナタが大量に含まれているのは注目すべき事だと思います。作品101から始まる晩年のベートーヴェンのピアノソナタにはフーガの利用が多いことは有名ですが、逆にそれ以前のベートーヴェンのピアノソナタにはフーガ、もしくはフーガ的展開法がほとんど含まれて居ないために、よけい際だつのです。今回はなぜベートーヴェンが晩年になって、ピアノソナタにフーガを急に導入したか、というよりも、それまでのベートーヴェン -いわゆる「初期」「中期」のベートーヴェン- がどうしてピアノソナタにフーガを用いなかったのか、について、無い知恵を絞って考えてみたいと思います。
晩年「以前」のピアノソナタでフーガ的な手法をあからさまに用いたものは、かなり初期の作品ピアノソナタ作品10-2(第6番)終楽章までさかのぼります。初期作品の中では類例がないために目立っています。
ごらんの通り、フーガ的な展開の用い方はまだ「ぎごちない」感じがあります。しかし初期のピアノソナタにこのような曲が存在することは、ベートーヴェンが早くから「フーガ展開」に目を付けていたことのあかしと言えるでしょう。ところが、これ以降、作品101(第28番)に至るまで、ベートーヴェンのピアノソナタからフーガは姿を消してしまいます。
作品6のピアノソナタから晩年に至る間のベートーヴェンがフーガに興味を持たなかったのかというと、そうではありません。「前期」「中期」のベートーヴェンでも、ピアノソナタ以外の作品にはフーガ展開が効果的に用いられているからです。 以下の作品はそうした中でも有名なものです。
交響曲第1番第2楽章・交響曲第3番「英雄」終楽章・交響曲第5番「運命」第3楽章・弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」第3楽章中間部・弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」終楽章
最初の1つは「初期」に属し、ピアノソナタ作品22(第11番)とほぼ同時期の作品です。後のものは「中期」に属し、「ワルトシュタイン」や「熱情」と似た時期の産物です。さらにピアノ曲でも「エロイカ変奏曲」(これはある意味で交響曲3番「英雄」終楽章の「異稿」と呼ぶことができそうな曲なのですが)は華麗なフーガで締めくくられています。
従って、晩年以前、壮年期のベートーヴェンがフーガに興味を持たなかったわけではないことがわかります。むしろベートーヴェンは青年期・壮年期にもフーガを積極的に活用していたのですね。
実はこの時期、ピアノソナタにも、フーガ、あるいはフガートへの傾斜が感じられる曲があるにはあるんです。ピアノソナタ作品27-1(第13番、幻想第1番)終楽章、作品28(第15番、「田園」)終楽章の以下の部分です。
これらの2つは多声的に構成され、よく聴くと、主題(Dux)・応答(Comes)・対旋律の存在を把握することができ、フーガの書法になっていることがわかります。しかし、声部の関係はかなり自由、というよりはっきりしません。これらの曲では「ピアノで演奏される曲」ということを前面に押し出し、フーガ書法は部分を構成するための方法の手がかりの1つとして用いられているにすぎません。さらに言うなら、ベートーヴェン自身、「フーガ」と「ピアノ演奏効果」の両立に苦労しているように感じます(あ、これらの作品、音楽としてはなかなかレベル高いっすよ^^;)。これ以降、ピアノソナタではしばらくの間フーガは姿を消してしまいます。ベートーヴェンは(まあ、乱暴に言えば)ピアノ曲ではソナタ形式の開発(?)に専心していったように感じます。
これは私の個人的な想像なんですが、2手しかない「ピアノ」を用いて多声音楽である「フーガ」を実現すると言うのは、実は大変難しいことなのではないでしょうか。演奏する側だけではなく、作曲する側にとっても、です。私がいくつかのフーガもどきの作品(Free MIDI Librariesを参照)を作って痛切に感じたのは、 「フーガを作る際には、ピアノ1台を想定して作るよりも複数楽器を想定して作った方が容易だ」ということです。(だからこそ、無数のクラヴィーアフーガを遺したバッハはやはり「偉大」なのだろうな(=_=)uum)
ベートーヴェンが「中期」のピアノソナタで探求し、1つの頂点に達した「ソナタ形式」は「フーガ」と異なり、和声音樂で構成することができ、ピアノ技術とも両立しやすい形式です。おそらく当時のベートーヴェンの興味の中心は「ソナタ」「ソナタ形式」の和声音楽的な面からの拡充であり、「ソナタとフーガをピアノ1台で融合する」「ソナタという形式のなかに多声音楽であるフーガを両立し、これをピアノ1台で実現する」という課題は、「熱情」を作った頃のベートーヴェンにはまだ「先の話」だったのかもしれません。
「チェロソナタ第5番」(作品102)はおそらくその突破口だったのだと思います。ピアノソナタ作品101(第28番)にほんのわずか先行してかかれたこの曲。終楽章ではチェロ1本とピアノ1台で4声のフーガが構成されています。ピアノパートに着目すると、これは「3声対位法で進行する」ということです。この曲をものにしたベートーヴェンは「ピアノ用のフーガを作る」ことにかなり自信を持ったに違いありません。実際、このチェロソナタの終楽章は、後にかかれたピアノソナタ作品106(第29番「ハンマークラヴィーア」)の終楽章-あの、大規模な3声フーガ-の雛形のような構成を持ち、そのモデルになったように感じられるのです。この「チェロソナタ第5番」は、晩年の5つのピアノソナタの先驅作品であり、また、ベートーヴェンの「後期様式」の扉を開ける作品でもあります。ベートーヴェンのピアノ用フーガの系列の中で「チェロソナタ5番」は重要な地位を占めているような気がします。
※今回の文章は、1999年7月ごろに私の掲示板に書き込まれた内容に触発されて書いたものです。掲示板に書き込んでいただいた皆様、どうも有り難うございます。
※文中の楽譜は"MusicTime Deluxe for Windows 3.1 and 95"((C) 1996Passport Designs Inc.)にて作成したものをビットマップ化したものです。