Basso Continuo's Music Page
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今回のネタは、 ベートーヴェンの 「第九」(交響曲第9番, Op.125、合唱付き)です。 ベートーヴェンの「第九」といえば、 これはもう、 年末になると膨大な数の演奏会が催される。 終楽章は、 クラシックの入門曲みたいな性格すら帯びている。 その一方で、 一部のオタクからは 「『あの終楽章は最低だね』とかいうのが『通』である」 かのような 言い方すらされたりしてしまいます(^^;)。 私はここまで極端ではありませんが(^^;)、 デモーニッシュな第4楽章に比べて 前半1,2,3楽章の存在が薄くなりがちであることには 同情的な立場です。
ご存知のように、 「第9交響曲」では、 第4楽章の冒頭で、 それまでの3つの楽章のテーマを次々と回想し、 それを、 チェロとコントラバスの 重苦しい旋律を用いて 片っ端から否定していきます。 このため、 第1~3楽章の音楽は 「否定されるべき音樂」 という樣な見方が起こりがちです。 しかし私はこの見方はあくまでも表面的なもので、 作品の本質ではない、 と思います。 確かに あの第4楽章はすばらしい音樂だと思いますし、 第1~3楽章を否定して 「喜びの歌」 を導入する音樂の流れも すばらしいものです。 しかし、 その一方で 第1~3楽章自体もすばらしい音樂です。 「第九」は 第4楽章のみをクローズアップするものではなく、 やはり、 第1楽章から第4楽章までを 1つの総体として扱うべきものだと思うのです。 今回は、 この辺についてちょっと お話しいたしましょう。
そのために、 ちょっと「第九」の成立の歴史を 探ってみることにします。 ベートーヴェンは「交響曲第9番」の作曲に際して 膨大な量の下書き (スケッチ) をのこしています。 この下書き(スケッチ)を分析することで、 ベートーヴェンが 「第九」をどのように作成していったのか、 その跡を ある程度までたどることができるのです。 ノッテボーム(Nottebohm)というひとが、 このスケッチ帳を丹念に収拾、 研究し、 「ベートーヴェニアーナ(Beethoveniana)」 という論文集を遺しています。 以下、 この「ベートーヴェニアーナ」 の記載をベースに、 「第九」が作成されていった歴史を 簡単に紹介してみましょう。
ベートーヴェン「交響曲第9番」の初演は1824年の5月。
全曲の樂譜の完成はそれに先行して
1824年の2月頃だといわれています。
ノッテボームの
「ベートーヴェニアーナ」
によれば、
まず第1楽章の主題が1818年(完成6年前)
に確立されたようです。
その後、
別の色々な作品
(晩年の5大ピアノソナタ、
「ミサソレムニス」、
「ディアベリ変奏曲」など)
によって作業が一時的に中断した模様。
更にその後、
1822年頃から作曲が再開し、
1823年の前半
(全曲完成の約10か月前)
に第1楽章がほぼ現在の形になった事、
第2楽章が1823年8月頃
(全曲完成の約6か月前)
ほぼ完成した事、
さらに第3楽章は1823年の10月頃
(全曲完成の約4か月前)
にほぼ完成した事が
スケッチ帳から読みとれるそうです。
有名な「歓喜の歌」の旋律は、
1822年の夏
(全曲完成の約1年半前)
頃に初めて
冒頭4小節が
スケッチ帳に登場します。
およそ1年後の
1823年の7月頃
(全曲完成の約半年前)には、
これは以下のような形になりました。
(ごらんのとおり、
まだ現在の形と
ちょっと違いますね(^-^)。)
終楽章の主題が このようにまだ確立していない時期、 先行する3楽章はおよそ完成していたか、 或いは完成の途上にあったのです。 このことを考えると、 「先行する3楽章を否定して 第4楽章を導入する」 というコンセプトが、 作品完成の半年前には まだ考えられていなかった ことが伺われます。
さらに複雑な事情があるのです。
以下のスケッチ楽譜をご覧ください。
これ、
一見「第九」と全然関係なさそうな曲ですが、
「第九」の成立史の中で、
極めて重要な位置を
占めている旋律です。
実はベートーヴェンは、
現在の合唱付き終楽章以外に
純粋に器樂のための終曲も考えていたのです。
上のスケッチ樂譜には
"Finale instromentale"(器楽の終曲)
という注釈があります。
この旋律は、
「第九」の終曲を
純粋器楽用のものとする場合、
そのときのテーマと
して用いることを考えていた旋律なんです。
ベートーヴェンはこの時期 「第九」 の終樂章を、 声楽付き(現在知られている形)にしようか、 それとも今までの第1~第8交響曲と同じように 器樂だけの物にしようかと迷っていたんです。 上の旋律は1823年の秋 (「第九」全曲完成の約4~5か月前) になってもまだ「第九」に関連した スケッチ帳に 登場しています。 ベートーヴェンは、 「第九」完成間際まで、 終樂章を純粋器楽にするか 声楽付きにするか 迷っていたのですね。
(余談ながら、
この旋律は、
最終的には、
以下のような形になり、
晩年のイ短調四重奏曲の
終楽章に転用されました)
現在のように 「終楽章の冒頭で前の楽章を否定する」 というアイデアは、 1823年の10月末 (全曲完成の3~4か月前) にようやく日の目を見ます。 このことから、 「終楽章の冒頭で前の楽章を否定する」 というアイデアは 「『喜びの歌』を効果的に導入するための テクニックとして」 作曲の最終段階で ようやく思いついたアイデアだ ということがわかります。 「第4樂章で、 第1, 2, 3樂章の 内容が否定される」 というのは、 第九の構成の根幹ではなかったのです。
スケッチによる考察はこれぐらいにして、 別の面からアプローチしてみましょう。
我がサイトは、Yahoo!Japanでは、
『 ホーム > エンターテインメント > 音楽 > 楽器 > 鍵盤楽器 > ピアノ 』
という具合に登録されてます。即ち、我がサイトは、一応、 「ピアノ音楽」のサイトということになっているのでありますっ! 「え?うっそー、ここって『ピアノ関連サイト』だったの?」なんて言わないでください。 でも、私もすっかり忘れてましたっ(爆)! そこで(←何が「そこで」だ^^;)、 ここはひとつ「ピアノ音楽のサイト」らしく(笑)、 調査の対象を 「ピアノソナタ」に切り替えてみましょう。
ベートーヴェンは「第九」 の本格的な作曲を開始する直前に、 すべてのピアノソナタの作曲を終わっています。 「第九」との関連を考える上で重要なのは、 いわゆる「後期5大ソナタ」です。 これらは、 「第九」の 8年前ごろから次々とこの世に送り出されてきました。 具体的には、 以下の5つです。
交響曲第9番は無論ピアノソナタではありません。しかし私には、 ピアノソナタでない「交響曲第9番」が、 上のピアノソナタの総決算の位置を 占めているように思われてならないのです。 具体的な関連は、 以下の通りです。
こうしてみると、 「第九」 特にその1~3楽章は、 これに先行する 5つのピアノソナタの特徴を 受け継いでいることが感じられる。 ピアノソナタでない「第九」は、 実はベートーヴェン ピアノソナタの総決算という意味を 持っていると考えることができるのではないか。 特に第1~3樂章は、 決して 「否定されるべき内容」 ではない、 むしろ逆で、 ベートーヴェンの器楽作品の総決算という、 特別な位置を占めているのではないでしょうか。 楽式的な面から見ても 「ソナタ形式」 「フーガ」 「変奏曲」 という、 ベートーヴェンが「得意技」にしていた形式が、 この3つの楽章では縦横に活用されています。
さらに別の方面からアプローチ・・・
以下の楽譜は、
「第九」の第1楽章主題、
第2楽章冒頭、
第3楽章主題、
第4楽章冒頭を並べた物です。
*印をつけた音に注意してください。
旋律の要(かなめ)となる音に
"D-A-F-D"
という分散和音形が共通して現れています。
これは、
4つの楽章が緊密に結びつけられる
べき物であることを示しています。
注目すべきは、
先ほどお見せした
「幻の器楽終楽章」
の旋律も、
やはり開始は"D-A-F-D"であることです。
下の樂譜をご覧ください。
「喜びの歌」の中には、 この"D-A-F-D"の動きは見つかりません。 従って、 もし、 「第九」が、 器樂の終樂章を持っていたら、 4つの樂章の間の結びつきは 今よりももっと緊密な物になったかもしれません。 さらにいうなら、 器樂の終樂章を持った「第九」は、 「ベートーヴェンの 『ソナタ構造の曲』 の作品の中で最大最高の物」という、 現在よりももっと 純粋音楽的な 評価を得たかも知れません。 第1, 2, 3楽章に ついても、 現在のような 「奮闘」 「熱狂」 「愛」 などという イデオチックな見方ではなく、 もっと純粋音楽的な評価が 定着したことでしょう。
しかし、 ベートーヴェンは声楽の終樂章を 採用する道を選びました。 声樂を採用することを決意して以来、 ベートーヴェンは、 前半1,2,3樂章と 「歓喜の歌」の間を どう結びつけるか悩みに悩んだあげく、 「前の楽章を否定する」という アクションを思いついたのです。 この目的は第1,2,3楽章を うち消すという 額面通りのものではなく、 全4樂章を 統一することにあったのです。 このアクションによって、 全体4樂章に大きな統一を得た「交響曲」が完成した、 ということができます。
ともすれば最終樂章の 強烈な印象ばかりが残りがちな「第九」ですが、 我々が接するときは、 前半3つの樂章と最終樂章を含めた全体を 「4楽章の交響曲」として、 1つのまとまった作品、 統一された作品として接する 態度が必要であるように思います。 具体的には、 第4楽章に感動するための前提として、 まず、 第1楽章、 第2楽章、 第3楽章に感動しなければならない。 これは器樂奏者には無論のこと、 歌い手にも、 更には聴き手にも必要な態度だと思います。
※参考文献:グスタフ・ノッテボーム著、 山根銀次訳「第二ベートーヴェニアーナ」、 音楽之友社。 文中に現れるスケッチはすべてここから引用した物です。
※文中の楽譜は "MusicTime Deluxe for Windows 3.1 and 95"((C) 1996 Passport Designs Inc.)にて作成したものを ビットマップ化したものです。