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"Gloria" Diary/グローリア日記 2000

2000年12月2日に宇都宮で 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.8」 という演奏会が行われました。 私は毎年この団体にチェンバロで参加しているのですが、 2000年の曲目はなんと「現代曲」。 無論チェンバロの出番はあるわけがないっ! それでもこの団体に意地でも参加しようと・・・ 2000年度は、なりふり構わずいろいろな手段、 根回しを行い、結局「出演」したのです。 はたしてそれは如何なる物だったのか?どうぞ、以下の日記をご覧ください・・・

ご注意: 日付の古い記事が上に、 日付の新しい記事が下になるように並べてあります。 お読みになる際にはご注意願います。


2000年1月24日 一冊の楽譜がわが手元に・・・

「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.7」の本番が終了、 思い出に浸るまもなく私の手元に一冊の小さな楽譜が届いた。 グローリアの合唱指揮者で、 いつも音楽活動でお世話になっており、 かつ、 私のサイトの掲示板にもたびたび書込を頂戴しているうっちいさんからのものだった。 楽譜には手紙が同封されている。 こんな内容だ。

これは、 2000年の「グローリア」で行おうとしている曲です。 ごらんのとおり、オルガン伴奏の曲が含まれているんですが、 この伴奏を「ピアノ+オルガン」にアレンジしてくれませんか? そして、本番、オルガン伴奏していただけませんか?

楽譜の中身もろくすっぽ確認せずに 「はいはいはいはいーっ!やらせていただきますっ!」 とメールと電話で怪諾(?)の返事。 私が考えたのは 「やった、 これで今年もグローリアのどんちゃん騒ぎ(?)に参加できる!」 ということだけだったのだ。

で、冷静になって楽譜を見ると、 ううむ、 ロマン派っちうよりむしろ「現代曲」っぽいぞ? 俺、 最近、 バロックとか前古典派系列の編曲しかしたことがないんだけど ・・・ 大丈夫だろうか? そもそもうっちいさんのサイトにある数々のMIDIファイルを見ると分かるように、 うっちいさん自身が実は「アレンジの達人」なのだ。 そのうっちいさんからの依頼、 これは大変重大な責任を伴うミッションなのである・・・(=_=)ウウム


2000年4月2日 混沌たるオケ合宿(笑)

「グローリアアンサンブル&クワイアー」のうち、 「アンサンブル」は、毎年4月にキックオフ合宿というのを行う。 場所は栃木県北の田舎の町のペンションのようなところだ。 例年、 ここで今年度の「グローリア」で行う曲の「譜読み」が行われるのだ。 が、 今年はちょっと事情が異なっていた。 メインステージで採り上げる曲が「現代曲」であって、 著作権の関係で、 パート譜がまだ我々のもとに届いていないのである。 やむを得ず、 サブステージで採り上げる曲(ブリテンの「シンプル・シンフォニー」) に絞って練習を行い、 あとは種種雑多な曲を採り上げる、 ということになってしまった。 合宿のスケジュール表があるので、 引用してみよう。

ご覧の通り、 よく見ると「グローリア」本番へ向けての練習そのもの自体は実に少ない。 ブリテンの「シンプル・シンフォニー」なんて、 正味15分ぐらいの曲だ。 あとは総元締めのY.K.氏 の気に入った曲とか、 少人数に別れてのアンサンブルとか、 夜は夜で酒が入りながらのアンサンブルとか(笑) 要するに合奏何でも有りの合宿だったのである。 私はここにチェンバロを持ち込み、 J.S.バッハ・C.P.E.バッハ・テレマンのトリオソナタ、 合奏協奏曲、 はてまたピアノを用いてモーツァルトの「ケーゲルシュタット・トリオ」 等のアンサンブルで遊んだ。

午前零時で 音出しはストップしたが、 その後もいろいろ飲み食いしながらの宴会が続き、 皆ぐでんぐでん。ふと気がつくと午前2時。 私は「やばい」と思った。私のサイトの2000年2月21日ごろの掲示板の記事を見てもらえると分かるのだが、 現在の私は鬱病をまだ引きずっており、 ちょっと夜更かしするとそのまま鬱性不眠状態で一睡もできなくなってしまい、 翌日はパワーが出せなくなってしまうのである。 そうならないために実は「睡眠薬」を常用しているのだが、 生憎その薬を合宿所に持ってくるのを忘れてしまったのだ。 案の定、一睡もできないまま合宿2日目の日曜日に突入してしまった。 こうなるともうパワーが出ない。 つくづく自分の精神病を呪うのみである(+_+;)。 合宿2日目は、昼食を取った後、 「自由演会」には参加するパワーもなく、 早退的な帰宅をしてしまった。残念である。 (帰宅後は夕食を取り、 睡眠薬を飲み、 直ちに寝床につき、 11時間程爆睡しておりました)

それにしても、 全く色々な人がいるものだ。 ギターを持ち込んでアンサンブルに加わるチェロ弾きとか(笑) なぜかバロック風な曲になるとのめり込んでしまいオルナメント (装飾音)をつけまくるヴァイオリン弾きとか・・・ ほとんど謎の世界である。 もっとも私もその一翼を担い(笑)、 自作曲を2曲持ち込んだ。 すでに"Free MIDI Libraries"で公開済みの、 「蛍の光」フランス様式、 そして、 先日完成したばかりのヘンデルのアリアによる変奏曲の2本である。 結果は・・・前者はまあOK。 初見的な試演でもまずまずの出来であった。 しかし、 後者はそうではない。 この曲、 現代的な、かなり大胆な和音を用いたのだが、 初見的な試演にはこれが仇(あだ)になったようだ。 この「ヘンデル変奏曲」実演を実現するためには「初見的な試演」ではなく、 結構マジに取っ組み合ってもらわなければならないのかも知れない。


2000年9月10日(1) 合わせ練習初参加に至るまで

何と5か月ぶりの日記更新である。 9月10日には「合わせ練習」があり、 私も初めて参加したのだが、 ここに至るまでの間に、「グローリア」に関して私の身の回りに 何が起こったかを整理しておく必要があるだろう。

1月24日の日記にも記したとおり、 私はうっちいさんから伴奏部の編曲の依頼を受けていた。 オルガン1台用に書かれている伴奏譜を、 「ピアノ+オルガン」の形にリメイクするという物だ。

ところが当時の私はなにしろ精神的に参っていたものだから(いいわけ^^;)、 編曲の作業は遅々として進まぬ。 そうこうするうちにあっという間に6月も過ぎ(笑) いよいようっちいさんから催促のメールをいただく羽目になってしまった(爆)。

7月のある練習日、 私は「やっとの思いで付け焼き刃的に仕上げた」 編曲伴奏譜を持って練習会場に赴き、 うっちいさんと指揮者のK先生に披露した。 お二人からは、 「よし、これでちょっとピアニストに相談してみます」 との返事。 よおし、 これで一息。

お二人の話によれば、 ピアニストが来られての練習は9月以降始められる予定、 とのこと。 逆に言うと9月の練習まで私はとりあえず出番がないわけで、 私の対「グローリアへ」の活動は一旦休止ということになったのである。

すでに数回の練習が行われた 「グローリア」 の練習に私が合流したのは、 この日から更に2か月が経過した 9月10日であった。


2000年9月10日(2) 合わせ練習初参加

9月10日、実に久しぶりの「グローリア」の練習である。 練習は例によって午後6時から宇都宮の栃木県教育会館だ。 午後4時過ぎに自宅を車で出発し、 会場へ向かう。 昨年のグローリアと異なり、 今回は楽器はスタッフに準備していただいた電子楽器にて オルガンパートを担当するコトになっているので、 チェンバロを積み込むことなく身軽な出発である。

午後5時半、練習会場へ到着。 うっちいさんが用意してくださった楽器は、 いわゆる電子ピアノであった。 オルガンに近い音質を選んでみたが、 どうも「いまひとつぴったり」するものが無い。 とりあえずその場にある別の音で代替。 うっちいさん、 「次回はオルガンの音のするものを準備してきます」。 結局楽器については今回はうっちいさんに色々と手間をかけてしまう。

私が本来出演すべき曲は、 うっちいさんから伴奏のリメイクを頼まれていた 「アンセム」 2曲であった。 まず、 この曲からの練習が始まる。 私のオルガンパートとともに伴奏を担当するピアニストの 「K.K.さん」 と軽く挨拶を交わした。 私と異なって、 K.K.さんはいかにもプロのピアニストという雰囲気を漂わせており、 ちょっとビビる(笑)。 練習前に事務局代表のSさんから一言紹介のあと、 Sさんにうながされて「挨拶」をする。

「えーと、私、音をよく間違えますんで、皆さん、 伴奏に頼らず、 これまでの練習で確立した自分の音をきちんと出してください」 ・・・なんか滅茶苦茶な挨拶だけど、 まあ、 いいか(^^;)。

しかしこの挨拶はあながち嘘でもなかったのである。 うっちいさんの指揮で練習開始。 自分で作っておきながら言うのも何だが、 実はこの曲の伴奏は初見に近い状態☆\(--;)。 実際に音を間違えまくってしまった。 1回目はとにかく楽譜を追うのに必死。 2回ほど通して、 ようやく曲の雰囲気が分かる。 私が実施した伴奏のリメイクの方針そのものもそれほど違和感はないようだ。 ただもう少しピアノの音符を増やしても良いかな・・・という感じだ。 次回までに検討しよう。

しばらくして、オーケストラの面々も集まり、 メインステージである「レクイエム」の練習が始まった。 本来ならこの曲は鍵盤楽器を含まず、 従って私の出番もないはずである。 しかし、 私はここで1つの計略を巡らした。

すでに管弦楽側の総元締めであるY.K.氏から 「レクイエムにオルガンで混ざったらどう?」 という勧めを受けていたのだ。 私も「どーせでるならメインステージにも出たい」と思っていたから、 この話には飛びついた。 で、どうしたか? 私はメインステージの練習が開始されても先ほどのオルガンの場所から動かず、 ヴォーカルスコアを頼りにオルガンで出すべき音を模索し、 弾き続けたのである。 指揮者のK先生からは何も言われなかった。

・・・というわけで、 「オルガンを混ぜ込む」という私の計略はどうやら既成事実化された(笑)。 練習終了後、 指揮者の先生、および、 事務局代表のSさんに正式に 「オルガンを混ぜ込んでも良い」 という許可を頂戴し、 本番3か月前にしてメインステージ参加への道が開けたのであった。


2000年10月1日 うっちいさん果物おいしう御座いました(笑)

本日は「合わせ練習」の日。 練習は午後1時からである。 どーゆーわけか、 午前4時に目が覚めてしまった。 ここ数日間の風邪で生活リズムがぐしゃぐしゃになっているのに加えて、 以前から続いている「抑鬱症」のせいであろうか。

まあ、 本日はこの「早起き」は幸いであった、 というのは、 本日は午前中に一件「用事」が入っていたからだ。

先回の練習の後、 うっちいさんに、 オルガンらしい音のする電子楽器を新たに確保していただいたのだ。 その楽器は、 現在、 K市内のうっちいさんの実家にあり、 練習前に運搬しておく必要がある・・・という次第。

午前9時過ぎ、 K市内のうっちいさんの実家に向かう。 うっちいさんのご実家にお邪魔するのは初めて。 立派な邸宅である。 楽器の運搬前に図々しく上がり込んでよもやま話(一部、 来年のグローリアの計画話を含む^^)、 そのうえ、 飲み物やら色々なおいしい果物やらをごちそうになってしまった。 ごちそうさまでした。 しかし、 これでは何をしに来たのか分からないぞ(^_^;)。

午前中のうちにうっちいさんと共に楽器の運搬をし、 練習会場の近くにあるファミレスにて昼食をとり、 午後12時半に練習会場に到着。 本日の練習メニューは以下の如し。 私が関係するのは前者2つである。

出来は・・・少なくとも私自身はあかん。 楽譜を追うのに必死で、 指揮者を見ている余裕がない。 最初の1曲など、 曲尾のリタルダンドのサインを見落とし、 指揮者と拍がずれてしまうというテイタラクだ。 理由は明白で、 曲が「咀嚼」できていないのだ。 過去4回「グローリア」に参加してきた中で、 今回の私の 「咀嚼」 具合は今のところ過去の4回のいずれよりも悪いと言わざるを得ぬ。

今更ながらに気が付いたことなのだが、 私はやはり 「現代曲」 の経験が決定的に不足している。 これまで過去に「グローリア」が行ってきた曲は、 18世紀~19世紀初頭の作品ばかりであったが、 今回は20世紀・・・というよりも作曲者が未だ現役バリバリという、 まさに「現代」の作品である。 幸い(?)今回の曲は、 一応、 明白な調性が存在しているのだが、 一旦、 曲の内容につっこんでみると 18世紀~19世紀はじめの音楽のイディオムが通用しない場合が極めて多い。 現代英語とラテン語の混在する歌詞・ 「きれいに響く」不協和音 (無論多くの場合18世紀~19世紀はじめの和声学は通用しない)、 これらは私には圧倒的に経験不足の部分だ。 合唱とオルガンが同時進行する部分の多くは、 18世紀の音楽の用語を無理矢理用いれば、 「合唱によるレチタティーヴォ ・ セッコ(recitativo secco)」<注>のように見えて、 テンポ・強弱等のコントロールに細心の注意を要する。 これをピタリと合わせるのは至難の業だ。

・・・ところで私、 本番2か月前にこんなことに気が付いている状況でよいのだろうか? 心配になってきたぞ。 どうか、 今頃こんな事に気が付いている人間が、 私一人であって欲しいものだ・・・って、 多分、 ソウダロウナ。 私自身のスタートが非常に遅れたツケが廻ってきたという気がする。 ウウム、 マタガ深クナリソウ(+_+;)。

注:レチタティーヴォ・セッコ (recitativo secco) ・・・ア・カペラ(a cappella:無伴奏)か、 もしくは通奏低音のみによる伴奏を伴ったレチタティーヴォ(叙唱)。 なお、 通奏低音以外の伴奏楽器を伴ったレチタティーヴォは 「レチタティーヴォ・アコンパニャート(recitativo accompagnato)」 と称する。 レチタティーヴォ・セッコもレチタティーヴォ・アコンパニャートも、 主に18世紀~19世紀はじめの音楽に対して用いられる用語です。


2000年11月3日 日付間違いの大遅刻

今日は祝日で日本全国休みの日である。朝、のんびりと起きて 午前中も別にこれと言ったこともなくだらだら過ごす。

そして午後1時、自宅でやや遅めの昼飯を食べていると、 突然うっちいさんから電話。

うっちいさん曰く、 「今日、午後1時からグローリアの練習があるんですけど、出られますよね?」

私、答へて曰く、 「えっ、練習日って、五日じゃあ・・・?」

「いや、今日の午後1時からなんですけれど・・・」

どぐぁぁぁぁ!俺はてっきり練習日は「11月5日」 だとばかり思いこんでいたのだ。 完全に私の記憶違いである。 慌てて昼飯の残りをかき込み、 車に乗って一目散に宇都宮へ! 普段はなんてことがない周りの車のスピードがやけに遅く感じられる。

出発して55分後、ようやく練習会場に到着。 丁度「アンセム」が終了したときであった。

「やれやれ、アンセムをすっぽかしてしまったのはまあしょうがないとして、 レクイエムの練習に間に合ったのは不幸中の幸いだわい」

などと考えながら自分が扱う楽器の位置を決める。

今日は、 ソプラノ独唱者のYumi Kitta.さんもおいでになっており、 曲の全貌を把握する絶好のチャンスであった。

ところでこのYumi Kittaさん、何とまだ高校生! 抜群の演奏技術と若干助平の気を併せ持つ主席チェリストのB氏が 演奏中に彼女を襲わないか本気で心配になってきた(←馬鹿)。

練習そのものは、 まあ、 こう言っては何だが比較的「すいすい」と進んだように思う。 なんてったって、 レクイエムを結局2回通し練習してしまったわけだからな。

私のほうも、 自分の楽器を周りとどう調和させて鳴らすかがようやくわかりかけてきたようだ。 あと、残りの練習は極く数回だが、 出来る限りのブラッシュアップを図りたい。

練習後は、 スタッフのほうからポスター・ビラ等「宣伝促進」のお願いがあった。 そういえば、 このサイト自身もある意味で「グローリア宣伝サイト」なんだな。 演奏会案内のページを見て 来てくれる人が1人でも増えると嬉しいッス(^^)。

なお、 本日実施できなかった 「アンセム」 については、 来週日曜日の夜に実施される 「合唱のみの練習」 にて再確認的練習をすることになった。 ちゃんちゃん!


2000年11月12日 合唱練習に参加

本日は、 オーケストラの人は来ず、 合唱だけの練習の日である。 私はアンセムにも伴奏者としてかかわっている (のに先週サボってしまった++;) ので、 この練習には当然参加した。

アンセムの練習を通じて感じたことは、 自分自身が意外に曲を理解していないな、 ということであった。 曲が頭に入っていれば多少譜面が見にくくなっても なんとか その場の「流れ」で自然に伴奏の指が動くはずなのだが、 なんだかこれがうまくいかない。楽譜を「凝視」 しなければならない場合が多い。 こうなると指揮者とのコミュニケーションや、 合唱側との同期を取ることがおろそかになるのだ。 本番まであと3週間、 心してかからなければならない。

この日は、 レクイエムの練習も行われた。 こちらは私は管弦楽団側として参加するので 特に私が手を出す局面はなかったのだが・・・。 ここでは、 英語の「発音」がしばしば問題になった。 我々日本人には英語に頻出する「曖昧母音」 が非常に発音しにくい。 しかもこうした母音の動きで全体の曲の雰囲気が 支配されてしまったりするもののようだ。 鍵盤を一発ぶったたけばとりあえず音が出る私の楽器、 「合唱」との「勝手の違い」を 今更のように感じた一日であった。

次回の練習は11月25日。 いよいよ本番と同じステージに乗っての練習だ。


2000年11月25日 ステージ練習。 さすがに本番一週間前ともなると・・・

今朝の私は、 朝食をとった後に、 自分が使う楽譜の譜めくりのチェックを実施した。 これも、そもそも「時期的に遅すぎる」行為である。 去年ならもう10月頃には済ませていた行為だ。 やはり今回は、 「出だしの遅れが尾を引いた」と言わざるを得ない。 (さすがに、 「曲の構成や輪郭がわからない」 というテイタラクはなくなったが・・・) この「遅れ」をあと1週間で取り戻すのが私の課題となっている。

今日の練習開始時刻は午後4時なのだが、 一時間早く会場入りした。 舞台のセッティング、さらに重要なこととしてオルガンとして用いる電子鍵盤楽器のセッティングがあったためである。 オルガンのピッチとピアノのピッチを合わせるために、 うっちいさんと共に、 うっちいさんのお兄さん(こちらもウェブに「ピアノワークス」という名前のサイトを持っておられます。) がお見えになっていた。 ピアノの調律やら整調やらを専門にされている方だそうで、 今回、 電子鍵盤楽器とピアノとのピッチを合わせるために来ていただいたのだ。 それにしても兄弟揃って音楽関連の仕事というのはすごいなぁ、 と感服。

更に、 またこのご兄弟、 御顔がよく似ているのがおもしろい。 まあ、 兄弟で顔が似ているのは当たり前と言えば当たり前なのだが、 お二人が並んで座っているのを見ていると、 どうしても 「遺伝」という言葉に思いを馳せてしまう。 即ち、 「遺伝」に関する法則のメンデル大博士の エンドウ豆栽培に基づく大発見や 遺伝子が染色体上に存在するという モーガン大博士<注>の発見、 更には減数分裂や有性生殖等に於ける遺伝情報伝達の本質たるところの デオキシリボ核酸<注>の構造に迫りし ワトソン・ クリック・ ウィルキンズ 大博士ら先達の偉大さを 改めて痛感せざるを得ない・・・ というくだらない事は今はどうでもよくて、 とにかくうっちいさんのお兄さんの手により、 ピアノ、 電子オルガン両方の鍵盤楽器のピッチは統一された。 その後、 伴奏ピアニストのK.K.さん、 うっちいさん、 私の3人、 さらにはメインの指揮者のK先生も交えて ピアノと電子オルガンの音量のバランスを確認し、 スピーカーの位置を定める。 その一方で、舞台装置がてきぱきと設定されてゆく。

そうこうしているうちに午後4時をまわった。 いよいよアンセムの練習である。 壇上には合唱が勢揃い。 そして、 舞台の中央前面でうっちいさんが指揮台にのぼり、 それを挟むように上手側に私のオルガン、 下手側にK.K.さんのピアノが位置する。 オルガンを使用しない最初の2曲に続き、3曲目、 いよいよ私が音を出す段になった。

最初しばらく私にとまどいがあったが、 時間がたつにつれて、 どういうわけか 周りの歌声やピアノの音がよく聞こえるようになり、 うっちいさんの指揮もよく分かるようになった。 (と感じたのもただのマボロシかもしれないが(笑))。 ステージ上で空間が広々していることと、 譜めくりを容易にしておいたことがが主な理由だろうか。 事前に整えた譜めくり対策製本はやはり有効だったようだ。

4時から5時までの間のアンセムの練習は、 かなり密度の濃い内容であり、 終わった後にどっと疲れが出てしまった。 しかし逆に 「やれることだけは全てやった」 という感触も得ることができたような気がする。

5時半からはメインステージ 「レクイエム」 の練習。 こちらは一部の管楽器とティンパニに欠員があり、 また、 ソロのYumi Kittaさんも来られない。 とりあえず私の手元の電子楽器でこれら (ティンパニ、ソプラノソロ) を代用したのだが、 音が大きくなりすぎたり、 タイミングがずれたりと、 悲惨な結果でありました。 やはり通奏低音屋は余計なところで出しゃばるモノではない(笑)。 練習そのものは、 これまでの練習でウィークポイントを確認することがメインになった。 特に管弦楽側の指摘事項が目立ったような気がする。 反芻しなければならない。最後の勝負は当日のゲネプロへ持ち越しだ!

とにかく今日の練習は密度が濃く、疲れた。 日頃練習している場所と別の場所での練習と言うこともあるだろう。 また、本番1週間前ということでの緊張感もあるだろう。 さすがに、 本番一週間前ともなると、皆、表情が変わってくるものだ。

練習後、

「これでいまから自宅へ帰って晩ご飯食べるの面倒だよねえ。 近くで済ませちゃおうよ?」

と、H夫妻ら4人ほどを誘って近くのファミレスでお食事。 ところが、我々が食事している間に、 なんだかあとからあとから「グローリア」の 関係者がぞろぞろぞろぞろ食事しに入って来るではないか。 あらら~、 皆さん、 考えることは一緒ですね~(^^;)。

注: デオキシリボ核酸を英語では"Deoxyribonucleic acid"と云う。 所謂「DNA」はこの略語である。現在では「"遺伝子(gene)"="DNA"」は 周知の事実とされるが、 これも過去の偉大な発見の蓄積によって確立されたのである。
まず、 モーガン博士(Dr.Morgan,1933年ノーベル医学生理学賞受賞)が、 「遺伝子が染色体(chromosome)上にある」ことを見抜き、 遺伝子の生化学的方面からの正体を示唆した。
更に、 本文で触れたワトソン博士(Dr.Watson)・ クリック博士(Dr.Crick)・ ウィルキンズ博士(Dr.Wilkins)ら3人 はDNAのいわゆる「2重らせん構造」を 明らかにし、DNAの自己複製機能、他の個体との交換機能 など、「細胞分裂」「生殖」による遺伝的情報伝達の生化学的根拠を 確立した。(この研究成果が認められ、この3人は 1962年にノーベル医学生理学賞を受賞した。) なお、 真に「"遺伝子"="DNA"」を示したのはハーシー博士 (Dr.Hershey,1969年ノーベル医学生理学賞受賞) である・・・
って、 こんな脚注が必要な脱線話なんか書くなっつーの!☆\(--;)


2000年12月1日 演奏会前日・・・楽譜の再製本

従来の私は、 演奏会前日というのは特に準備もせずに過ごすのが普通だった。 昨年までの場合、 演奏会前日は大抵、 「前日に職場の泊まり込みの忘年会が入る」 という事情もあったのだが・・・。

しかし今年の私は、 前日も「より良い演奏へ向けて奮戦(?)」しているのである。 とはいっても今更個人練習して本番突然上達するというわけもなく、 おこなうことと言ったら、 「譜めくりの再確認・修正」ということである。 先週の練習で譜めくりが煩わしかった部分を再度チェックして、 ページの貼り付け、 切り離しなどを実施したのだった。 これが意外と手間取る作業、 さらに、 できあがった譜面は セロハンテープがべたべたついてごわごわになってしまった。

と言う具合に、今年の私は本番直前まで奮戦すると言う具合に、 気合いがいつもとはチガウのである・・・ というよりむしろこれはもはや、 「最後の悪あがき」、 というほうがふさわしい(爆)。

準備は程々にして、 今夜は早く眠ることにしよう。 あ~、 明日、 うまく行くといいなぁ~。


2000年12月2日 ついに本番の日が

ついに本番の日がやってきた。 私は午前8時に起床し、 朝食を取り、 改めて出かける前の所持品をチェック。 本番用の服装、 楽譜、 スタッフからの書注意が書かれた紙、 本日のスケジュール表、 それから打ち上げ参加用の少々のお金(^^)

本日の予定表はすでにスタッフから全メンバーに配布されており、 分単位でのスケジュールが書き込まれている。 これによれば、午後1時に、ステージ設営のために、 会場-栃木県教育会館-に有志集合となっていた。 自宅から栃木県教育会館までは車でおよそ1時間かかる。 そこで私は12時半の到着を目指し、 11時半に自宅を出発した。 昼飯は会場の近くで済ませることにしたのだ。

予定通り、 12時半に会場に到着。 近くのファミレスで昼食を済ませた後、 会場である大ホールに入ろうとした。 しかしドアに鍵がかかっていて開けることができない。

私は近くの小部屋にてコンサート用の衣装に着替えながら ドアが開くのを待つことにした。 着替えを終わって部屋の外に出ると、 すでに数人のメンバーが集まってドアの近くでたむろしている。

「あらら、まだ開かないんですか」
「ええ、どうも1時ちょうどにならないと開かないようで」

はたして1時ちょうど、大ホールへのドアが開いた。 ここ (栃木県教育会館) のスタッフはなかなか時間に厳格であります(^^;)。

スタッフから配られた本日のスケジュール表は 分単位で細かく記載されており、 今、 自分が何をすべきかまで詳細に把握できる。 これによれば、 最初に行うことは山台などの舞台づくりであった。 山台づくりは約1時間で終了。 その後は、 録音機材などの設定が録音業者によって行われた。

私は更にもう1つ仕事があった。 それは電子鍵盤楽器とピアノなどとの音量のバランスを確認し、 電子鍵盤楽器の設営場所を決める作業である。 録音業者、 第1ステージ指揮者であるうっちいさん、 ピアニストのK.K.さん、 メインステージの指揮者であるK先生らによって、 客席での聞こえ具合などをチェックしてもらい、 電子キーボードとスピーカーの位置を決定した。

そうこうする間にいつの間にか2時半を過ぎ、 リハーサル開始の時間となった。

ソリストのY.K.さんもすでに会場入りし、 特殊楽器、 ティンパニなどもすでに到着し、 出場を待って待機の状態に入っていた。

リハーサルは、 本番と同じ順序で淡々と進んだ。 うっちいさんがいくつかの指示を出したが、 いずれも致命的に重大なモノではない。 いわゆる「練習」はすでに先週で終わり、 今行っているのは「確認」の作業なのである。 しかし、 私が担当するある1曲では、 序奏部でピアニストと上手く併せることが出来なかった。 この序奏部については 指揮者であるうっちいさんが私のテンポ状態に従うことになった。

第1ステージ、 第2ステージ(弦楽合奏)のリハーサルが完了し、 第3ステージのリハーサルになった。 キーボードとスピーカーを再配置することになり、 コントラバスの人々と場所を調整する。

第3ステージのリハーサルも、 単に全曲をざっと流すだけであった。 先生からの注意もごくわずかである。 これ以上の練習すると逆に疲れてしまいそうな中、 こうした「軽い練習」は、 曲を確認する意味からも有意義であった。

リハーサル後、 電子オルガンのスピーカーの位置を再び検討した。 スピーカからの音を 一旦反響版で反射させてから 客席に送り込む方が音響的に良いようである。 この方針を取ることにした。 スピーカを反転させ、 舞台正面の反響版へ向ける。

軽い食事の後、 いよいよ開場の時間になった。 ステージには緞帳(どんちょう)が下がり、 舞台上の空間と客席の空間を分けている。 こうした中、 第1ステージへ向けて合唱人員がステージに集まってくる。 ステージのわきから客席をのぞき込んでみた。 余り詳しくはわからないが、 結構お客さんが集まってきているようである。

もうすぐ開演。 いよいよ緊張してきた、 というよりも私は自らを「緊張」へ追い込んでいった、 といったほうが正確だ。 過去の何回かのステージ経験で、 私は出場直前にカチカチになるぐらい緊張している方が、 かえって本番はうまく行くのである。 周囲の人は私の尋常でない緊張の度合いを見てびっくりしたかも知れない。 私に対して声をかけることもしない。

6時半、 開演のブザーが鳴り、 緞帳があがった。 拍手の中、 指揮者のうっちいさんとピアニスト、 そして、 私の3人が舞台上でそれぞれの位置につく。 出場直前の極度の緊張感から解き放たれ、 この瞬間から私は普通の状態の私ではなくなるのだ。

第1ステージはアンセムが全部で5曲。 1曲目はアカペラ(無伴奏)の合唱曲、 2曲目なピアノ伴奏のみがついた曲だ。 1,2曲目を通じて、 なにやら精気に似たものが合唱側から私の体を通過し、 客席へ流れていくのを感じる。

3曲目、いよいよ私のオルガン伴奏の登場だ。 リハーサルで問題になった出だしの部分は無事クリアされた。 あとはもう曲のままに自然に流していけばよい。 とてもうまくできた。 過去の練習、 リハーサル、 本番を通じて、 今回が最も良い出来ではないだろうかと感じた。 この状態は4曲目も続き、 無事に自分の任を果たすことが出来た。 そして最後は再びアカペラ。 第1ステージは見事な出来で終了することが出来た。

第2ステージはグローリアアンサンブルのメンバーによる弦楽合奏である。 グローリアアンサンブルのメンバーは皆それぞれ水準が高い。 第1ステージとは異なった、 しかし心地よい雰囲気に満たされ、 さながら第1ステージと第3ステージの「間奏曲」のようだ。 この間の私は、 控え室でなにも考えずにぼーっとしていた

そしてついにラストの第3ステージ。 全員勢揃いでレクイエムだ。 舞台暗転中に私は再びステージに赴き、 自分が用いる楽器とスピーカの位置をチェックする。 この作業はすぐに終わり、 私は又ステージ袖に引っ込んだ。

ステージ開始を告げるブザーが鳴り、 我々は次々とステージに入場し、 各人の配置に付く。

指揮者のK先生とソリストのY.K.さんがやや遅れて入場。 客席から拍手。 こうして最後のステージは開始された。

この曲の開始部分は、不協和音の集まりである。 私は非常に低い音でコントラバスの音をなぞる。

以下、 最初の内は私は主にコントラバスの音をなぞることに専心した。 「通奏低音」 でいうところの 「tasto solo」 と言うヤツだ。 低音強化に効果がある。 2曲目の「OUT OF DEEP」では、 主席チェリストのB氏が見事なソロを披露、次の「PIE JESU」では、 ソリストのY.K.さんが魅力的な歌声を聞かせてくれた。 このように音楽が進行するにつれて、 私も「通奏低音奏者」として徐々に覚醒(?)し、 ベースライン以外の和音なども適宜充填したり、 合唱のテノールのラインを追ったりするようになった。 最後の曲「LUX ATERNA」では私は古典的な通奏低音奏者として振るまい、 私の発する音が最後の音の余韻のように残ったのである。

これで全てのステージが終わった。 指揮者のK先生、満面の笑みを浮かべて、 カーテンコールでは主席チェリストのB氏と、 「The load of my shepherd」で素晴らしいソロを披露した オーボエ奏者のK氏が紹介された。

無論(笑)アンコールが残っている。 今回のネタはクリスマスソング「Joy to the world(諸人こぞりて)」で、 ヘンデル風にアレンジされたモノである。 私はオルガンの音量を少し上げ、 完全に通奏低音奏者としての演奏を楽しんだのであった。 アンコールの後は無論大勢の拍手。

これで 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.8」 としての活動は盛況の内に全て終了した。 そしてそれは次のステップ 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」 のスタートをも意味していたのである。


2001年2月15日 色んな"荷物"が届いた

本番が終わって2か月が過ぎた。まず、その後の私の動きを簡単に記しておこう。

私は既に「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」への準備に入っている。 一方、私生活のほうはというと、依然として私のもとから離れない「鬱病」を速やかに治すべく、1月中旬から、栃木の自宅をいったん離れて、実家へ「転地療養」していた。 (これらのことは「グローリア日記2001」の1月23日の箇所により詳しく書いてあるので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。)これが本番終了後の私の主な動きである。

時は過ぎて2001年2月15日、その「実家」に、 管弦楽総元締めのY.K.さんの名前で大量の荷物が郵送されて来たのだ。

荷物の多くは、 次回の「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」に関する練習日程、 曲目案内、楽譜等であったが、 今回の「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.8」に関する物も含まれていた。 1つは、 当日本番を録音したCDであり、 更には、 当日、 参加者・観客から寄せられたアンケート、当日演奏中の写真なども有った。 このうち、アンケートには色々な意見があり、 興味深く読ませていただいた。 しかし、実はCDを依然としてまだ聴いていない。 「鬱病」のせいか、 どうしても今回のような「複雑な現代曲」を 聴く気になれないのだ。

一刻も早く「鬱病」から完全回復して、 我が頭の音楽に対する感覚を正常に戻さなければ・・・。 そして、我々の演奏がどうだったのかを我が耳で確認しなければ・・・。 それまで、 この「グローリア日記2000」は擱筆しないつもりである。


2002年1月16日 CDを聴く

やっと・・・聴いた。すでに、次の年の「グローリアVol.9(2001年)」も終わったある日である。 結果は、アンセムはまあ、合格、しかし、レクイエムは今1つ。 私の存在がCDから感じられないのだ。 「やはり現代曲に無理矢理通奏定音を入れるのはちょっと無理があったか」 というのが正直な感想であった。 今後の「グローリア」はバロックだ、 この無念は絶対晴らす!(笑)というわけで、 「グローリア日記Vol.8」ようやく擱筆です・・・(^^;)


というわけで、 「グローリア日記 1999年度版」、ようやく 擱筆することができました。 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.8」の練習、 準備等を日記風に記してみましたが、 いかがだったでしょうか? ちなみに、この次の 「グローリアアンサンブル&クワイアー Vol.9」 「グローリア日記 2001年度版」の顛末は・・・?というわけで、"グローリア日記2001"のページへ ・・・ →


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